小説

『影』広瀬厚氏(『草枕』)

 人が生きるって…… 言うものはいったい何なんだ? 考えれば考えるほどに答えは遠ざかる。生まれて死んでゆく。あまりに当たり前の自然に、頭を悩ます。どうでも良い、そしてどうでも良くない。皆の幸せを願う。同時にことごとく破壊したくもなる。こなごなに砕け散った残骸に、やっと微塵実態のカケラを見る。
 アクビが出る。眠たいんだ。眠らせてくれ。眠れば良い。目を閉じる。眠りかけたその時、また目が開いた。眼前に光と影を認めた。

 知らぬ街を歩きながら、こう思った。
 見た目ばかりを気にしていると、内面軽薄となる。内面充足ばかりに重きを置くと、風雨に朽ちる。とかくにバランスが大事。
 一方にバランスが偏ると漸漸に天秤が傾いていき、仕舞十ゼロに偏る。一度膨れ上がったものは頑なし減ぜす。一度空になると容易くは満ちぬ。
 表があるから裏がある。デコがあってボコとなる。光射すゆえ影となる。これら絶対バランスのうちに相対するは、言わば同一である。矛盾のなかに真実がある。そして真実は矛盾する。てぇ言うか、真実なぞ無い。真実を知ると言うは嘘つきなり。猫はニャンとなき。犬がワンと吠える。カラスがないたら帰ろかな。言葉はただただ言葉である。
 自分の思いが支離滅裂に迷走し始めた時、自分の右足は卒然と歩道に捨てられた空缶を踏んづけた。歩行のバランスを崩し後ろに倒れそうになった自分は、すわやと左足の裏に力を込め、前へとバランスを移動した。左肩から右腰もとへと斜にストラップをかけた、古いレンジファインダーのカメラが振り子に揺れただけで、幸い倒れずにすんだ。
 眼前雑然としてビルが建ち並ぶ。呆れるほどの統一感のなさは、混沌として、ある意味見様によっては面白い。されど見方変えれば見苦しい。人通りはまばらである。剪定雑な街路樹が虚しい。曇天のなか時折雲の切れ間から日が射す。影が突如と現れる。歩道のすみに駐輪された一台の自転車の影が、自分の目に趣をもって映じた。肩からかけたカメラを手にとり、ファインダーをのぞいた刹那、日が雲に隠れた。
 煩わしい。日に日に生活のなか煩わしさが募る。募り募って山となり、前途を塞ぎ圧迫する。悉皆嫌になる。目まいがする。吐き気をもよおす。日常を逃れたくなる。
 そんな時自分は、今まで訪れたことのない知らない街へ、ふらり行く。どこだって良い。こだわらない。初めての街ならそれで良い。地図を見て当てずっぽに「よし、ここだ」と指をさし、決める。丘を越える。川を渡る。山を越える。海を渡る。列車に乗る。バスに乗る。船に乗る。空を飛ぶ。近かったり。遠かったり。途中気が変わったり。何も想像せず。何も期待せず。ただカメラを肩から一台下げて出かける。
 意味など求めない。感情を入れない。あるがままをありのままに写す。シャッター切らずとも心に映す。出来れば意識もしたくない。ただただ知らぬ街の風景を自然にいただく。これが簡単なようで簡単でない。なかなか難しい。つい意味を求める。つい情がはいる。何かと意識する。雑念が被写体を虚しく飾る。

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