小説

『タイムマシン エピローグ2』川路真広(『タイムマシン』)

 私が「時間旅行者」についての手記を発表してから、半世紀がたった。
 時の流れとはなんと速いものだろう。時間は、この世のすべてを載せて過去から未来へと運び続ける。いや、逆の言い方もできる。時間は未来から絶えまなく現在へと注ぎこまれて来て、この世のすべてを過去へ、つまり永遠に取り戻せない暗がりのかなたへと押し流してしまう。言い方は違うが、どちらも同じことだ。時は容赦なく過ぎ行き、過去を振りかえる私たちには、人生があっという間に過ぎ去ったかのように、つまりは夢のごとくに感じられる。
 私も齢をかさね、すでに八〇歳を越えた。このところすっかり衰弱し、この世にとどまっていられる残り時間はあまり長くないであろう。思えば、時代の激動に翻弄されながら、よくこの歳まで生きて来られたものだと思う。ヨーロッパを破壊し尽した先の大戦は、私からひとり息子のジョージを奪い去った。そして今度のドイツとの二度目の戦争。二年前、ナチスの非道な空襲によって、私は最愛の妻を失った。私が大学の所用で離れている時に、ロンドンの私たちのアパートは爆撃を受け、エイミーは瓦礫の下敷きとなって命を落としたのだ。私はヒトラーの非道残虐を決して許すことができない。
 戦争の破壊は私から未来を奪い去った(老い先短い身にとっては、たかがしれた未来であるとしても)。しかも戦いはまだ続いている。どの国も狂気に駆られて残虐な殺傷行為を続けている。二〇世紀は人類最悪の戦争の世紀となった。この先さらにどのような大量破壊の兵器が作られ、人間同士の恐るべき殺戮が続いていくのであろう……
 いや、私の個人史にまつわる感慨をくどくど述べることは控えよう。今は誰もが似たり寄ったり、痛みや欠乏や苦悩であえいでいるのだから。そうしたことのために私はこれを書き始めたのではない。私は、この半世紀のあいだずっと、折にふれては思い出してきたあの男――時間旅行者――について今一度、書いておきたいと思ったのである。
 彼はいったい何者だったのだろう。ごく短い期間、私たち(それはおそらく十指にも満たない人々だったはずだが)と時を共にし、ある日忽然と消え失せたあの男。そして、あの一連の出来事。あれは夢やトリックではなく、実際に起こった事実だと私は今でも確信しているが、さすがに記憶もおぼろになりかかっている。つまるところ、「時間旅行者」は、私たちの目の前で、いったい何をやってのけたのか。あの出来事から半世紀を経た今、そのあとで私が確認できたいくつかの事実を交えて、あの謎めいた出来事について私なりの考察を述べておく必要を強く感じている。
 私が発表した手記『タイムマシン』は、一時はおおいに世間の話題をさらったものの、結局、寓意的な一篇の読み物とみなされた。空想科学小説の意匠をまとった教訓話、あるいは珍奇な幻想で読み手をひきつける新手の文明批評として受け取られた。要するに誰ひとりとして、私の手記の記述を本気には受け取らなかったのである。
 だが、あれは実際にあったことなのだ。私は体験した事実を正確に書いたのである。「時間旅行者」は、私たちの前にたしかに存在した。私は彼と話をし、あのきらきらと輝く灰色の瞳を覗き込んだ。彼と握手を交わし、彼の吸う煙草に火をつけてやった。他の数名とともに、彼の語る未来世界の(それは驚くべき話だったが)証言を聞いた。

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