小説

『タイムマシン エピローグ2』川路真広(『タイムマシン』)

 タイムマシンが不可能だという物理学者の見解は私を落胆させた。だが、私にはもうひとつ、専門家の意見を求めるべき疑問があった。私は、やはり大学の同僚であるひとりの生物学者と知り合う機会を得ていた。
 若きヨハンソン博士は古生物学が専門で、辺境地域での化石発掘や、進化に関するすぐれた理論的研究により、学会ですでに高い評価を得ていた。私は大学の学部合同クリスマスパーティで彼の姿をみつけ、教員用のラウンジに誘った。彼もまた、私の手記を少年時代に読んだと言い、私がその作者だと知って大変驚いたようだった。
「ヨハンソン博士、私が知りたいのは、「時間旅行者」が私たちに語った人類の未来についてなんだ。人類が、進化の果てであのような二種類の、ひどく退化した生物に変貌してしまうなどということが、ありうるのだろうか」
「ちょっと待って下さい。「時間旅行者」が語った、というのは、つまりあなたが小説で書いたという意味ですよね」
私はあれが「小説」ではなく、事実に基づいた「手記」なのだということを博士に力説した。ヨハンソン博士はなかなかそれを信じようとはしなかったが(当然であろう)、やがて笑ってこう言った。
「わかりました。あなたの物語が事実であるかどうかはこの際、いったん棚に上げましょう。あそこで語られていた人類のはるかな未来の姿というものが、生物学的に見て信憑性があるのか、ということについて、僕の意見を述べることにしましょう」
 私は彼のグラスに赤ワインを注いでやった。彼はかなり飲む男らしく、早くも三杯目だった。「まず知っていただきたいのは、進化という概念は進歩とか退化とは別のものだということです。すべての種は適応の結果であって、われわれは価値判断抜きに「進化」と呼ぶのです。さて、では人類のはるかな未来に思いをはせてみましょう。もっとも僕は古生物が専門ですからね。過去についてはともかく、未来について考えるのはあまり得意ではないわけですが、それはともかく……七〇万年後の未来でしたね。僕の意見では、それだけの長い時間の中で、ヒトの体制や知能がかなり変化することは大いにありうると思いますね」
「ほう」と私は言った。「では、やはりあの話は荒唐無稽な作り話とは言い切れないのだ。あの地上の楽園に暮らす無防備な、心おだやかな種族と、地下の――」
「心の貧しき者は幸いなり。天国は彼らのものなればなり、ですかね」とヨハンソンは軽い調子で言った。「もっとも、あの未来の楽園は、教会の教える天国とはいささか違う世界のようですが……。過去を眺めてみても、われわれ人類は、アフリカやジャワで発掘された祖先の原人から、数十万年、あるいは百万年以上かもしれないが、体型や知能を大きく変化させて来たわけで、こうした進化は未来にもずっと続いていくでしょう。ただ未来の具体的な姿は誰にも分かりはしない。さっきも言いましたが、僕は過去を専門としていますしね」
 私は四杯目のワインを注いでやりながら、ふと物理学者の語った言葉を思い出した。タイムマシンは何を動力にしていたのかという、私にとってはそれこそ絶望的な指摘についてだ。

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