小説

『タイムマシン エピローグ2』川路真広(『タイムマシン』)

 もちろん、あの場にいた全員が「時間旅行者」の語ったことを信じたわけではなかった。医者や心理学者やジャーナリストは、われわれがトリックにかけられたのだと考えたようだった。おそらく彼らは半信半疑のまま、「謎めいた奇術師にまんまと一杯食わされた体験」として、あの出来事をその後の酒の肴にしたかもしれない。
 しかし私の眼には、あの日時間旅行者がタイムマシンとともにどこか別の時間にむかってまさに旅立っていくときの、うすれゆく彼の姿がはっきりと焼きついているのである(うすれていくものをどうやってはっきり見たのか、などと尋ねないでもらいたいのだが)。私はたしかに目撃したのだ。そして私の手元には、彼が紀元八十万二千七百一年の未来世界から持ち帰ったと語った一輪の花の残骸――半世紀の時の流れによって茶色く変色しボロボロに崩れかかったそれ――が、彼のただひとつの置き土産として、残っている。あの出来事は、私にとってけっして否定できない事実なのだ。
 自分の人生の終点近くにさしかかって、どう言えばいいのか、私は、もう一度、見たことはたしかに見たのだと、起こったことはたしかに起こったのだと、そう主張する必要を強く感じている。それが私の――多少誇張して言えば――神聖な義務であるように思われるのだ。たとえば、福音書の記述者たちが奇跡に満ちたイエスの出来事を事実として記述し、後世に残したように、私も、どんなに奇怪な出来事であったとしてもあれは事実だったと、くりかえし言い続けなくてはならない、と。ましてや福音書の作者たちとは違って、私はまさにその場に居合わせた当事者であったのだから。

 手記を発表したあと、私はいくども「時間旅行者」について熟考し、あのとき彼と交際のあった人々の証言を集めなおした。大学で職を得てからは――私は民族学および宗教社会学を専門として博士号を取り、長くC大学で講じて来たのだが――機会があれば同僚である他の分野の専門家たちの見解を聞こうと努めた。その成果はかんばしいものではなかった。何人かは「なんと、きみがあの『タイムマシン』を書いた本人だったのか」と驚いた顔をした。「あれはなかなか面白い読み物だったが、さて、ぼくは文学が専門ではないのでね。」
 たいがい、そんな具合だった。私の話を「事実」として受け取り、私の疑問にまともに向き合おうとしてくれる専門家はほとんどいなかった。しかし、面白半分にせよ、あるいは気晴らしの会話としてであったにせよ、私の発した疑問に正面から答えようとしてくれた同僚がなかったわけではない。私は以下に、そのような二人の研究者との対話を記すつもりだ。ひとりは物理学者であり、もうひとりは生物学者である。議論の詳細はあとで記すが、とくに、生物学者とのやりとりは読者諸氏にとっても興味深いものであろうと思う。
 だがその前に、あの出来事に立ち会った面々の証言を記しておくのがよいように思われる。「時間旅行者」とじかに接していた人物たち、つまり友人のフィルビー、(あとは個々の名前を記すことをひかえるが)医者、心理学者、編集者、町長などである。私は手記を公にしたあと、必要を感じて彼らのもとを訪ね、話を聞いて回った。するとじつに驚くべきことが判明したのである。それは彼らの誰ひとりとして、自分がどのようにして「時間旅行者」の家に出入りするようになったのか、たしかな記憶をもっていなかった、ということである。

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