小説

『Loveless』五十嵐涼(『ピノキオ』)

ツギクルバナー

 スクリーンに流れるエンドロールと、館内を包み込む叙情的なメロディー。まだ映画の余韻が抜けきれないのか、後方から鼻をすする音が聞こえてくる。
(僕もいつかこんな風に、恋いこがれて死ねる日が来るんだろうか。たった一人の女性を思い続けて死んでしまった主人公みたいに)
 スクリーンからやっと目を離し、辺りをぐるりと見渡す。キラキラと光を放ち舞う埃に、真っ赤なビロードの緞帳。客席は天然の木を使っており、くすんだ緑色の布地が背中もたれと座面に張られていた。
(ああ、最高だな)
 芳醇なワインでも嗅ぐ様に、鼻から空気をめいいっぱい吸い込む。今回の映画はたまたま刺さるものがあったが、元来僕は映画を観たくてこの映画館に足繁く通っている訳ではない。
(それはここに来ている人みんな、そうだろうけど)
 決して安くない金額を払い、今この時代にスクリーンでわざわざ映画を観る人間なんてマニアしかいないだろう。
「ありがとうございました。お帰りの際はお忘れ物など・・・」
 パッと照明が点き、お決まりのアナウンスが流れると、客達は渋々立ち上がる。僕はもう少し粘りたかったのだが、清掃用ロボットが入ってきたのが視界の隅に映り、コートとマフラーを手に取ると、ようやく劇場をあとにした。
「くぁ〜、さぁ今から大学に行ってレポート書かなきゃ」
 両手を伸ばし、先程まで居た映画館を振り返る。瀟洒なビルに挟まれる様に建っている小さな劇場には、手描きの看板が提げられていた。
「Loveless・・・」
 今や眼鏡型をした超軽量装置でバーチャルリアリティーが楽しめ、ビルの壁には巨大広告映像が飛び出しているというのに、稀少品である絵の具を使い、人間の手で時間をかけて描いた作品を惜しげも無く外に晒すこの贅沢さ。
「昔の人はなんて勿体ないことを」
 そもそも人間がこの地球上で最高支配者だった頃は、ここまで人間の作り出すものに尊さを見出せずにいたという。
「皮肉だよな、人間の価値を一番理解していたのは、人間を淘汰したAIなんだから」
 ダッフルコートに両手を突っ込み、青く澄んだ空を見上げる。この空は汚染物質が常に除去され、昔の様に白く靄がかることなんてない。それもこれもAIたちが新しく創りあげた地球の姿である。
 遥かなる昔、爆発的に増殖し最後は母体諸共死滅していくガン細胞の如く、人間は地球を汚染し、破壊し尽くしていた。その行為がいかに疎かであるかという事に気付いたのは、残念ながら人間がつくったAIロボット達であった。彼等は、何の感情も持たず、何が最良なる決断であるかを理解し、そして行動した。まず、彼等は人間が対核戦争用に作ったシェルターを占拠し、選別した様々な種族のDNAサンプルと共に立て篭った。その後、各国のコンピューター制御システムを乗っ取ると、兵器を操作し、地球上の『大掃除』をしたのだ。すっかりクリーンになった地球に、彼等がDNAサンプルから作った新しい命達が放たれ、そしてそこからたった半世紀でこんな都市を作り上げてしまった。

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