小説

『ごめんなさいね』吉倉妙(『マッチ売りの少女』)

ツギクルバナー

 こんな問題を見たことがあります。
 冬の深夜に公園を通行中、泥酔して公園のベンチで寝込んでいる人を見かけ、放置しておけば寒さのため凍死すると思いつつ、何らの措置をとらないまま立ち去ったところ、同人が翌朝凍死していた場合に、保護責任者遺棄致死罪は成立するかどうか?
 答えは――「成立しない」でした。
 理由は、保護する義務は道徳上の義務であって法律上の義務ではなく、このような場合にまで罪を認めると処罰範囲が広くなりすぎるからで、法律上の義務があるかどうかで、刑法上の処罰の対象となるかどうかが決まるとのことでした。
 つまり、通行人には保護すべき義務は発生していないから……と解説されていました。

 法律、ましてや刑法などと無縁の生活を送っていた私が、なぜこのような問題を知ることになったのかを告白することは勇気がいります。
 どこからどう話したらいいのか――。
 高校卒業後、私は栄養士になるため地元の短大に進学し、地元といっても実家から電車で3時間ほどかかる地方の主要都市で一人暮らしを始めました。
 新築二階建ての真っ白な建物で、全部で六室。私の部屋は二階の真ん中、202号室でした。新しい部屋の中の新しい電化製品、新しい友達、新しい環境。
 全てが新らしいものづくしで、浮き浮きと楽しい毎日を過ごしていました。
 五月に入ってからは、チェーン店の飲食店のホールで週三のバイトをしたり、そこで出会った男の子と付き合い始めたり……。社会人になる一歩手前の一時を謳歌。
 もちろん、その時はその時の悩みもあったのですが、それらも含めて、今となっては全てが懐かしい思い出。時の流れというのは、そういう作用があるのですね。
 でも、そんな作用をもってしても、決して懐かしさへと変化しない記憶というのが世の中に存在することを、私は身をもって知っています。
 憎しみも、変化しない記憶の一種ではないかと思いますが、許すことで治癒される可能性が残っているかもしれません(大変難しいことだとは思いますが……)。

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コメント
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    どことなく不安定な語り口にはじめは違和感を抱いたのですが、主人公の心情と文体とがシンクロしていくようで、気がつけば引きずり込まれていた感じです。(10月期優秀賞受賞者:末永政和)