小説

『Okiku_Dool』植木天洋(『お菊人形』)

ツギクルバナー

 目の裏に焼き付いてはなれない映像がある。雑多な小物のなかに一体だけ寝かされている小さな日本人形。合羽橋にあるお気に入りの骨董屋での出会いだったが、普段特に人形など興味はなく、幼い頃から怖いと思って避けていた私にとって、その日本人形に一瞬で目を奪われたのには少し不気味な感じがした。
「日本人形だ」
 それを指さして、彼に伝える。彼は振り返りもせず、
「却下」
 と言った。ほとんど反射的と言ってもいい。彼の趣味に合わないものは絶対に買わせてくれない。買ったからには部屋に飾るだろうし、彼とは同じ部屋に住んでいるのだから、もし日本人形を買ったら彼も日本人形を私と共有することになる。彼は多分、それを嫌がっているのだ。それか、日本人形が‘無駄’な‘モノ’だと思っているのか。私達の生活において。それはありうる。飾っておくだけの日本人形なんて価値がない、もちろん価値を見出す人もいるだろうけれど、少なくとも私達が共有する空間に日本人形は必要とされていない。彼はそういうことを言いたいのかもしれない。でも一番の理由は「趣味に合わない」という断固としたものだった。私も半ば「だめだろうな」と思いつつ「欲しい」と言うこともある。即座に「却下」されるのだが、そのやりとりを楽しんでいる。
 でもその日本人形は今までの日本人形と違った。あまり不気味さはないし、これといった特徴もない。大分くたびれた古くて少し厚みのある着物を何重か纏って、髪は日本人形の代名詞とも言える切りっぱなしのおかっぱ頭。少し肩にかかるくらいか。合成繊維でできているのだろう、髪の毛というには不自然なボリュームがあってわずかに縮れている。無造作に置かれているせいか髪は乱れている。顔はふっくらとした童女の造りで、薄く開いた黒黒とした目があり、小さな唇には朱色を差している。
 骨董屋を離れてからも私は日本人形のことが忘れられなくて、ことあるごとに日本人形の姿を思い出した。それが置かれていた箱、店内の様子、古道具のなんともいえない饐えた匂い。
 数日後、私は一人で骨董屋に向かった。まだ日本人形は売られているだろうか? 多分売られているだろうけれど、商品の入れ替えでなくなっていることもある。お気に入りの骨董屋は商品の入れ替えが激しいのだ。しかし心配は杞憂におわり、日本人形は私と出会ってから誰にも触れられていないような恰好で雑多な箱に寝転がっていた。
 私は彼の顔を思い出しながら、日本人形をじっくりと見つめる。腰を折って、顔をぐいと近づける。髪の具合、着物の状態や柄、小さく袖口から飛び出した白い手…。
 黄色をメインにもってきた着物も珍しかった。朱の柄もあるけれど、日本人形の着物は黄色がほとんどで差し色程度に朱が入っている。日本人形と言うと真っ赤な振り袖、というイメージとは少し違う。それが私の興味を引いたのかもしれない。

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