小説

『Okiku_Dool』植木天洋(『お菊人形』)

 大きさは三十センチより少し小さい。普通ならそれなりの台座やガラスケースの中に大切に保管されているはずの日本人形が、実に無造作に置かれていたのも日本人形のイメージからかけ離れていた。おもちゃ箱に投げ入れられたバービー人形のようにドメスティックで、ファンタジーの欠片もない日本人形。
 私はついに手を伸ばしてみた。人形の脇をそっと右手で持つ。ガサガサとした着物のテクスチャーを感じる。以外に軽い。触れたら二度と離れられないような根拠を見いだせない怖さを感じながら、髪に触れてみる。キシキシとしていて、やはり人毛ではない。かなりのくせっ毛のような造りになっている。真っ直ぐで真っ黒な髪が美しいとされていた時代から受け継がれたアイコンだというのに、ずいぶん生々しい。もちろん昔にもくせっ毛の人はいただろう。けれど、それは多分美しいとは思われず、くせっ毛に生まれた(特に女性)人はコンプレックスにそれなりに苦しんだんじゃないだろうか。
 人形をじっくり見つめて、私はそれを骨董屋の主人のもとへ持っていった。思ったよりずっと安くて驚いた。昨今の着せ替え人形よりずっと安い。ほとんどコンビニで買うお菓子の値段だ。まあ無造作にぽいと置かれていたのだものね、それくらいの価値か。納得しながら、新聞紙で丁寧に包まれた日本人形をバッグに入れて家路につく。
 さて。日本人形を買ってしまったことを、彼にどう告白したらいいだろうか。買ってしまったからには仕方がない。彼は勝手に人のものを捨てたりする人ではないので、なんとか共存を計る方向に思考をシフトさせてはくれないだろうか。新聞紙をとめた黄ばんだセロハンテープをゆっくりと剥がしながら、彼の反応とそれに対する反論を想像し、考える。
 インク臭い新聞紙から開放されて、あのちょっと古びた日本人形が現れた。骨董屋と部屋との明かりが違うせいか、着物の色が少しよく見えた。不釣合いだった真っ赤な唇もそう不自然なものには感じない。蛍光灯の下では何もかもが人工的に見える。人形だってもちろん人工のものだけれど、人間の形を(多少のデフォルメはあるにせよ)忠実に再現した姿は生々しい。私は人形をどこに置こうか悩んで、人形を右手に掴んだまま部屋をうろうろとした。私のワークデスクのすぐ後ろの棚には、昔飼っていたスキニーギニアピッグの遺骨と写真、ご先祖様にお水をあげるスポット、それから少しずつ収集された様々な動物の置物があった。置くならここだろうか。それともパソコンに触れながら見える場所に大胆に置いてみようか。明らかに目立つ場所に置かない限り、彼は二・三日は人形の存在に気づかないだろう。その間に人形に部屋に馴染んでいく。彼が気づいた時には人形は部屋の一部になっているのだ。その時、彼はどうするだろうか?
 結局、ワークデスクの上の本を並べた区画に本を背にするように人形を置いて、私は満足した。彼がいつも仕事をしているパソコンのモニターに隠れて死角になっており、この場所だと一週間は気づかないかもしれない。夜中に彼が人形に気づいて驚く様を想像して一人ほくそ笑む。だけど、彼はそうそう驚かないということを思い出して笑みを消した。つまらないな。

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