小説

『明日、桜を食べに』柿沼雅美(『桜の樹の下には』)

 名前が分かるような分からないような母親たちに小さく会釈してお教室に近づくと、腰の高さほどの柵の中でごろごろしておもちゃを掴んでいた。保育士さんが蓮を呼んで連れてきてくれる。保育園に預けたばかりの頃は、庭に面したドアの前で大泣きし、他の子たちもほとんどがぎゃーぎゃーと泣いていて、何かとてつもなく悪いことをしているのではないかと思ったけれど、慣れってすごいなぁ、と蓮の頭を撫でたくなった。
 バイバイは? と茜が言うと、お教室に向かって眠そうな顔で手を振る蓮を抱いて、園を出た。
 門の近くでは、入園希望者なのか中をうかがいながら3人の女性が話をしていた。うちは40点だけど、とか、あと1点がね、と言い合っている。2人は胸に子供を抱えていた。
 40点と聞くだけで両親が共働き正社員なんだな、と想像がついた。最近急にテレビで保育園の話題が多く、無認可に入れて月に14万円もかかって何のために働いてるのか分からなくなる、というのを聞くと、ふぅん、と思ってしまう。両親共働きでお金を多く出してまで解雇されないように働いて保育園に預ける人たちが幸せなのか、離婚して働きながら養育費を十分にもらっている人が幸せなのか、それとも今の自分が十分に幸せなのか、分からなくなるけれど、蓮がいて不幸ではないことだけは確かだった。
 日に日に重くなっていく蓮を抱っこしてとろとろと15分歩いた。
玄関を開けて、よっこいしょっと蓮をソファに転がし、キッチンで手を洗った。母親は今日はまだ趣味の習い事から帰ってきていないようだった。
 蓮がおとなしくしてくれている間に、冷蔵庫から作っておいたチヂミレンジに入れる。タイマーをセットしておいた炊飯器からご飯を取出し、フライパンで卵や刻んだ野菜を混ぜてチャーハンを作り半分をお皿に盛る。残りの半分はラップで一口サイズに包み、キュット巻いて小さい毬の形にした。刻んだ野菜でスープを作り、少し味の薄い状態で蓮用のカップに注ぎ、残ったスープに中華だしを入れて大人用を作った。
 蓮がソファで、ごはんごはんというようなことをぐずりだした。茜は、はいはいはいはい、と近づき、ローテーブルに夕食を並べた。
 しっちゃかめっちゃかにされる前に、蓮を子供用の椅子に座らせ、いただきますしようねーと茜は隣に座った。
 蓮は、毬形のごはんを手づかみで口に運び、と満足そうに声を出した。もう手づかみじゃなくてちゃんとスプーン使って、と言うと、怒られているのに楽しそうに笑った。チヂミも茜の思った通り手づかみで口に運んだ。スープを飲みたいのか、ゾウさんのついたスプーンをふんふん鼻歌のように息をリズムよく出してテーブルにコンコンと打ち付けた。口の中のチヂミが喉を通ってからでしょ、と言うと、スープスープと訴えるようにスプーンを叩きつけ始めた。茜は、あーあと言いながら蓮の口についた米つぶを取る。

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