小説

『ホントの気持ち』山本康仁(『鶴の恩返し』)

ツギクルバナー

「もしもし……」
 夕方の淡い日差しの中で、香苗は恐る恐る声を出した。近所の公園から弾ける、子どもたちの笑い声に負けそうになる。散歩中の犬が香苗を不思議そうに見つめ、飼い主に引っ張られ先へと進んでいく。
「会員ナンバー? えっと……」
 スーパーの袋を足の間に挟み、財布からカードを取り出す。
「14-7331です」
「藤本香苗さま、ですね。どういったご用件でしょうか」
「あの……」
 買い物袋を持ち上げる。住宅街の細い一方通行を歩きながら、香苗は「はぁ」と募っていた不安を吐き出した。
「『絶対』という言葉を使ってますでしょうか?」
 オペレーターが確認する。
「『絶対』開けないで、『絶対』中を覗かないで。『絶対』があるとないとでは」
「言ってます、ちゃんと。『絶対に見ないで』って」
 思わず声に力が入る。干した布団を叩く音がマンションの壁に反響し、香苗はトーンを低く戻した。
「ええ、部屋に入る直前です。もちろん、互いに嫌ってるわけじゃないし、それは付き合い始めの恋人みたいってわけじゃないですけど、一緒にテレビ観て、そろそろ寝ようかって立ち上がって、わたしが自分の部屋に入る直前に。ええ。『絶対に見ないで』って」
「『絶対』を強調してみましょうか」
「はぁ……」
「少し大げさぐらいが効果的だったという意見も寄せられています。最近は割と鈍い方も多いですから。是非それでお試しになってください」
「分かりました……」
「他にご用件はございますでしょうか」
「いえ……」
 携帯をバッグに戻すと、香苗は北の空を見つめる。あれはヒヨドリたちだろうか。袋の持ち手が、噛みしめるように指に食い込んだ。

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