きみのことを何も知らないまま、いま、わたしは語りはじめている。わたしの語るコトバがきみに「通じる」のかどうかも分からないけど、語ろう。わたしには伝えたいことがあり、つよい風の日に種子がとばされた 失われた惑星みたいに自転していた。そして、だんだんと、しぼんでいった。種には自分の行き先がどこかなんて、予想もつかない。できるのは期待だけで、「陽あたりも、水はけも、土の栄養も、ちょうどいいとこにたどり着きたい!」黒い枝から手をはなし、消えていった。それは信じるということだ。未知のなかに自分を投げこむということだ。それが出来れば、結果なんて関係ない。そう。だからわたしもきみを信じ、コトバを信じよう。わたしたちの距離と時間と存在を縮めれるのはコトバしかない。
「おじいちゃんが恋してる!」 気づいたのは、おばあちゃんだった。その恋の相手が自分じゃないことに気づいたのも、おばあちゃんだった。おばあちゃんはおじいちゃんと何十年も一緒にいるヒトで、わたしはおじいちゃんにもおばあちゃんにも会ったことがないけど、2人のことはよく知っている。
おじいちゃんはベトナムという国のハノイという街から来た。記憶なんかが生まれる、ずっと前からそこに住んでいた。ハノイは悲しい街だった。空のブルーは雲のグレーに隠されて、入りくんだ小路の奥からはギンモクセイの香りと人間たちの足音が聞こえてる。朝には雄鶏がときをつげ、屋台の仕込みをする少年が走りさった後には、金柑の香りがのこっていた。冬だった。
ベトナムという国はアメリカという国と戦争をしていた。アメリカという国はグレートな国だった。129羽の鉄でできた鳥をハノイの上空に送りこんで、鉄の卵を産卵させた。街ではサイレンが鳴っていた。親の叫びも、子の泣き声も聞こえなかった。みんな我先に逃げようと体のうえに体が重なり、声のうえに声が重なって、潰れた。鳥たちの羽ばたきだけが聞こえていた。
B52と名づけられた鳥は鳥のくせに蛙みたいに産卵する鳥だった。蚕の吐く糸みたいにたれる無数の卵を見つめていると、時間がとまったようで、「平和」という言葉が思いうかんだ。