小説

『老人の恋は冬の花』ふくだぺろ(『メキシコの諺』)

 それまで地上に根を張って生きてきて、海なんか見たこともなかったおじいちゃんはどんな気持ちだったんだろう。潮の匂いには生きることのイヤらしさが含まれてる。空の青と海の青に境界線を引けただろか?遠ざかるハイフォン港のむこうにハノイを、これまでの生を思い返しただろうか?

 ジャパンの商人に買われて連れられてきたというヒトもいるし、好事家に愛されてというヒトも、船内に紛れこんだだけ、自分から志願してというヒトもいる。わたしたちはあまり志願するということはないのだけれど。おじいちゃんがどうやって来たのかはっきりしたことはわからない。どこに到着したのかはわかってる。ジャパンのハマヨコ港。

 おばあちゃんと出会ったのもそこだ。チャイナから来た雌とベトナムから来た雄がハマヨコの夜に出会った。ジャズのかかるナイトクラブの前だった。虚空すずめの歌声が、かすかにドアのすき間から漏れていた。月よりも明るいナイトクラブのネオンが、サルスベリの白い肌に映っていた。

 そうしておじいちゃんとおばあちゃんは子どもをつくった。たくさんつくった。この世のなかに数多くある喜びのなかで、子どもを持つこと以上に疑いのない喜びはないことを、2人は知っていたから。そうして彼らの子どももまた子どもをつくった。

 平凡な一生だった。ベトナムからジャパンまで来たけど、そこまで特筆すべきことではない。チャイナ南方を中心に、東アジア一帯はわたしたちの活動範囲だった。もうずっと前にジャパンまでやってきたのもいる。これがアフリカとか南米まで行ったのであれば話はちがったかもしれないが、行ってどうなるのだ?もし行ったのなら、それはそれでよかったんだろうけど。

 歳をとると、もう花実が咲かなくなるという。そうなのかもしれない。おじいちゃんはもうずっとただ立っているだけみたいだった。もう中は空洞かもしれない、そういう状態だった。
 そして、冬に花をつけた。一輪だけ。赤い、マッ赤な花だった。円錐花序といわれ、ふつう花は木ぜんたいに何百と咲き誇るものだが、枯れた木にたった一輪だけ花が咲くというのも、美しかった。

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