小説

『桃産』大前粟生(『桃太郎』)

「桃、ですか」私はあっけにとられた。
「そう、ここに、小さい点が見えるでしょ。これが、種」先生は相変わらず半笑っている。
 私は前のめりになってエコー写真をじっと見つめた。
「ええと、これ、ですかね?」小さな点があったけど、それは点というより影のようで、どことなく不吉だった。
「そう、それが、お桃ちゃんの種」
「あの、」私は聞いた。「こういうことって、よくあるんですかね」

「こういうことって、よくあるの?」夫が聞いてきた。料理の湯気はとっくに消えて、暖色の照明にねむたくなる。
「最近じゃ、めずらしくもなんともないんだって。ほら、これ、パンフレット。あと母桃(ぼもも)手帳」
 病院で手渡されたパンフレット。〈安心してお桃ちゃんを産むために~桃産のてびき~〉桃色の冊子で、タイトルの下にはポニーテールのお母さんが桃を抱きかかえているイラストが描かれてある。母桃手帳も当然桃色だ。
〈不安ですよね?〉からはじまるそのパンフレットの言葉は、不安を和らげてくれたりしない。〈不安ですよね?〉あぁ、桃を産むのって不安なものなんだ、と私はその言葉を見て、自分のなかから不安が生まれるのを感じた。
「へぇ」と夫はパンフレットをパラパラとめくった。
「で、どうするの?」夫は二本目の缶ビールを開けた。
「え、どうするって、なに?」
「いや、その、産むのか産まないのかってこと。決めるのは、結局ミカなんだし」
 夫はたぶん私を気づかってくれているのだ。結局、産むのは私なのだから。子宮を持った私の意見が最優先なのだと。でも、なんだか丸投げのように感じた。そうだ、私がひとりで産むのだ。
「産む」
「そっかぁ、うん。じゃあ産もう」

「あ、ひょっとしてはじめてのお産ですか?」
 次の日、病院に併設された妊婦さんのためのエアロビクスジムの前で私がなかに入るタイミングを掴めずにそわそわしていると、ひとりの女の人に声をかけられた。

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