小説

『観音になったチューすけの話』入江巽(狂言『仏師』)

三、二〇一四年七月二十日(火)、チューすけとヒロキは観音を見に行き、それから半年間かけて「仏師作戦」のために準備した、ということ

 千手観音になるという話は本気やったんやろか、本気やろなと思っていたら、日を置かず火曜日、ヒロキはいまから京都に来いと電話よこし、京阪七条駅から引率、三十三間堂へと連れてってくれる手筈になった。寺など縁がないので、そういうとこ俺の行くべきとこと違う気したが、道すがら、ヒロキは汗たらしながらおもしろそうにずっと三十三間堂のこと語り続ける。
 三十三間堂の正式名称は蓮華王院、平清盛がつくらせたもの、何回か燃えたが八百五十年前からそこにある、左右に五百づつ並ぶ同じ大きさの千手観音の立像が千体、それとは別にとても大きな坐像の千手観音まんなかにあり、これは国宝、これを入れたら千手観音は千とひとつ言うことになる、やけどそのうしろにも、実は千体並べられとんのとおんなし大きさの観音がこっそり一体あるので、要するに千とふたつの千手観音あそこにそろい踏みや、ヒロキはすらすらガイドのように言い、そんなん覚えているのすごいナという思いだけ残り、右から左へ中身が抜けていく。チューすけ、千三つ屋って言葉知ってるかとヒロキまた教えをたれようとし、首よこに振ると、不動産屋のことを軽くバカにした古い言い方で、千に三つくらいしか商談がまとまらん、千に三つくらいしか本当のことを言わんとか元々はそういう意味やと説明してくれ、千とんで三体目のニセモノ観音になるたくらみ持った俺ら、今日から千三つ屋や言うので妙におかしく、センミツ屋センミツ屋とふたりで笑った。ワクワクしてきてこれは遠足やろかという気分。
 拝観料は六百円、靴脱いであがると涼しく、ここやと言うヒロキに続いて入っていき、右に曲がって眼に入った光景、しばらく声も出なかった。圧倒された。すぐに眼に入ったのは雷神像、これもさっきヒロキが説明してくれていて、観音二十八部衆と呼ばれる集団と、それに風神と雷神加えた三十体が千手観音の前には置かれていると聞いていたもの、その後ろに十段づくりの階段こさえてあり、千の観音が集合写真のようにズラリ。雷神像は怖く、石になる魔法かけられたホンモノのよう、次の瞬間には動き出すんちゃうか、本気で思うた。その後ろの千手観音は、話に聞いておったもののたいへんな数、同じ姿かたちのものがズラリ並ぶというのはそれだけで人を圧するなにかがあるのに、ましてありがたいとみんな思う千手観音、冒しがたい力がそこにあるの、俺のように信仰とか崇拝と縁がない人間でもヒシヒシと感じ、計画にふと怖気づいた。
 ヒロキ、「ほとけさまうつすこと、かたくきんしされております」という貼り紙見てヘラヘラ笑い、名文や、どうやってお前が化けてるとこビデオ撮影するか考えなあかんナ、まかせとけ方法なんていくらもある、と言うた。はじめはとって食われるかと思うた雷神像や二十八部衆像、風神像にも次第に慣れ、三十三間堂のお像たち見るの、めっぽうおもしろくなっていて、俺は言葉すくなくキョロキョロしとった。これは相当準備が必要な計画や思い、堂内の回廊、なんべんも行ったり来たりした。台座や衣装を作らんとあかんとか、経年のせいで剥げた黒いとこ混じる金の感じどういう塗りで表現しよかなどと思い、説明書きも熱心に読み、そうかここの観音さんはみんな十一の顔、四十の手という造形の観音さんかと知ると、持ってきたモールスキンのノートにそのこと書きつけたりした。
 おい見てみい、付け入る隙見つけたで、ヒロキ言う。千体の観音の前面に安置された二十八部衆像はナラエンケンゴ像からはじまり、ダイベンクドクテン像、キンナラオウ像と続き、ナンダリュウオウ像とかバス仙人像とか名前がおもしろいような気がするのは覚えられるが、覚えきらんナントカ天、ナントカ王など延々と並んどる。最初のほうに並べられたキンナラオウ像のうしろ、ヒロキは見詰めニヤニヤしていた。「観音立像現在修復中」と看板が出ており、ややジグザグな、前後ひと並びの千手観音が、そこだけ一列まるまるない。このこと、俺もさっきから気づいていた。ぎっしり詰まった観音の中にどんな風にまぎれるか、一列の空きがあるならここを突破口にするしかないやろな思い、ヒロキにそう言った。他のやり方では観音さま壊してしまうかもしらんくて、それは嫌。眼だけでニヤリと笑ったヒロキ、化ける観音のモデル決めろ言い、俺がアホやからまだ気づいてないと思うてんのか知らんが、ここの観音はぜんぶいっこいっこみんな違うと言いよる。それならもう決めとるわい、サンジタイショウ像の左うしろ二列めの観音さんが妙に気にいったのでそれにするつもりと、ヒロキに答えた。この観音さんは今日から俺の先輩みたいなもんや。

 

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