SOMPO認知症エッセイコンテスト

『絵の壁』間学

 どうやら父は私のことを「息子を名乗る見知らぬ怪しい男」だと思っている。
 熱心に聞き込み調査もしたらしい。父を訪ねる古い友人や近所の知り合いに。平日に毎日お世話になっているヘルパーさんにも、それから宅配便のお兄さんや新聞の集金の人にも調査の手は伸びていたようだった。面と向かって私を問い詰めるような証拠はまだ挙がっていない。月に一度の定期検診に父を連れて行くと、主治医の先生からオレオレ詐欺には気をつけて電話は留守電にした方がいいですよと余計なアドバイスを頂いた。父と私は互いに顔を見合わせて、その場が気まずい空気に支配された。

 20年近くも実家に寄り着かなかった報いかもしれない。仕事が忙しかったとはいえ、もう少し時間は取れたはずだ。頸椎狭窄症の手術の後は頑張ってリハビリをし、なんとか歩行器で自分の活動範囲を死守していた父。外交的で好奇心が人一倍強かった。その父を長年面倒見ていた母が突然この世を去った。驚くほど呆気なく、夏バテ程度かと思われた体調の変化は、みるみる母を死の淵に追いやった。たったの1ケ月だった。そのスピードがあまりに早かったせいか、父のアルツハイマーも一緒になって加速した。加速し過ぎて歩行器のブレーキが効かず、トイレで転倒して車椅子生活になった。

 こうして父と、その息子を名乗る見知らぬ怪しい男との共同生活が始まった。昼間はどうやら、昼寝と昼寝の間に、昼寝をしているようだった。お気に入りのヘルパーさんが来る日は、急にお洒落で雄弁になる。海馬の不思議の成せる業か、そこはちゃんと覚えている。
「君、ちょっと悪いけど伊勢丹で美味しいお菓子でも買って来てくれないか」
 朝食が終わり器用に車椅子を運転し、クローゼットからチェックのシャツを出してくる。
 家でデート気分を味わうつもりだ。こういう瞬間は母の事はすっかり頭から抜け落ちている。だけど、夕方になる頃には決まって女房の奴が買い物からまだ帰ってこないんだよと嘆いている。そしていよいよ深夜のワンマンショーが幕を開ける。昔の仲間とマージャンをし、ドイツ語で野ばらを歌い、会議を開いて、上半身でタンゴを踊り出す。一人芝居のクオリティは増すばかりで、このままだと来月辺りはどこかの小劇場で単独公演を開いているかも知れない。メマリーとマグネシウム。記憶と便秘の薬のはずだけど、父が毎日飲んでる奴には何か別の成分も混ざっているんじゃないかと、私は疑ったりした。

 年を取ると人間はだんだん子供に戻ると言うが、厄介なのは、子供だから簡単に悪魔や天使になったりする。私の課題は父が天使でいる時間をなるべく長くキープすることだと思った。天使はたいがい優しく微笑んでいるから、そういう瞬間を日常の中に探していると、壁に飾ってある父のコレクションに気がついた。ゴッホやマティス、モジリアーニやルソーが好きだったから、夫婦で旅をすると決まって現地の美術館に足を伸ばしていた。家には美術全集が何冊もあり、原画は到底買えないからと縮小コピーや美術館で購入した記念の切手や絵葉書が壁に納まっている。母との思い出でもあるのだろうか、頻繁にコピーを覗き込み薄笑いを浮かべていたから、その絵の中に父の顔写真を上手いこと張り付けコラージュ作品に仕上げてみた。父はゴッホと一緒にビリヤードをし、レンブラントの夜警の隊長に成りすまし、マティスの裸の楽団にも入隊した。シャガールの散歩で女房と再会し、ルソーのジャングルで迷子にもなった。そうしてみるみる作品が増えると、みるみる天使の時間が増えていった。
「いいねぇ、ここの絵の壁は、まるで美術館みたいだな」と大いに喜んだので、勢いでリビングを父の名前の美術館に仕立ててパンフレットまで作った。知り合いを招待する前に、父を館長に任命すると、少しばかり緊張しながらも嬉しそうにこう言った。
「そうかそうか、私が館長にね。そりゃ、ちょっと頑張らないと、忙しくなるな」
 手作りの任命書を大事そうに折りたたみながら私の顔を見て天使のように笑った。笑いながら明日の開館時間と招待客のリストの確認を父から迫られた。たぶんこの瞬間に、私は見知らぬ怪しい男から、父の美術館のスタッフくらいには昇格したはずだ。