SOMPO認知症エッセイコンテスト

『はじめまして』あんのくるみ

「はじめまして」
祖母との挨拶は、いつもこの言葉から始まる。
「どなたかのお見舞い?」
「あなたのお見舞いですよ」
「まぁ、嬉しい。私たちお友だちだったかしら?」
しわしわの手を口の前に持っていき、大袈裟に驚いて見せる祖母。
この癖は、認知症になる前と変わらない。
「ごめんなさいね、思い出せなくて」
「いいんですよ。今からお友だちになりましょう」
「そうね。きれいな瞳のお友だちができて嬉しいわ」
祖母は私の手を握ると、きらきらと目を輝かせて笑った。

祖母は友人の多い人だった。
いつでもどこでも誰とでも、あっという間に仲良くなってしまう。
旅行先で知り合った人が、翌年に我が家を宿泊先に東京観光をしたり、同じバスに乗り合わせた人の縁談や下宿の世話をしたこともあった。
少々お節介にも見えるが、そんな祖母を悪く言う人はいなかった。
みんなから慕われ、愛されている人だったと思う。
人付き合いが苦手な私は、祖母に憧れつつも、自分とは別の世界の人だと思っていた。

見舞いに行くと、祖母は必ず私を褒めてくれる。
「はじめまして。あなたとってもかわいい声をしているわね。思わずお布団から出ちゃったわ」
「はじめまして。なんて素敵なセーターなの!あなたの白い肌によく似合ってるわ」
「はじめまして。お人形みたいに長い髪ね。乾かすのが大変でしょう。きっとあなたは丁寧な生活をしているのね」
部活帰りの小汚い格好で訪れても、必ずどこか見つけて褒めてくれるのだ。
ある時なんて同じ病室の人をわざわざ起こして、
「見て!私のお友だち、いいアキレス腱をしてるのよ!うんと早く走りそうでしょ」
と私の脚を指差して言った。
「お騒がせしてすみません」と後から私が謝ると、「お孫さんが可愛くてしょうがないのね」と隣のベッドの人は笑った。
その時、私は気がついた。
祖母にとって私は「はじめまして」のはずだ。
孫という認識は随分前からなく、毎回初対面として祖母は私と接している。
ということは、祖母は「はじめまして」の私を褒めてくれているのだ。

祖母が多くの人から愛されている理由が、少しわかった気がした。
彼女は人のいいところを見つける天才だった。
「はじめまして」と同時に、それができる人は少ないと思う。
そして、さり気なく素直に伝えられるのも、なかなかできることではない。

祖母の病気は私から「孫」という立場を奪った。
その代わりに、私のいいところをたくさん教えてくれた。
自分が気づかなかった瞳や声、一番似合うセーターの色、アキレス腱の形。
長い髪を乾かす時間も悪くないと今では思える。

「はじめまして」から始まる祖母と私の日々。
認知症で失われた思い出より濃く、あたたかい。