SOMPO認知症エッセイコンテスト

『祖母の赤ちゃん』本城浩志

 四半世紀が過ぎてしまった。
 当時90歳を超えた祖母が入院し、かなり状況が怪しくなってしまっていた頃、よく父と見舞いに行った。
 私の顔を見ると、
「あんた誰!?」
と訊ねられた時には、ショックを通り過ぎて、逆に微笑ましいような気持ちになって、赤ん坊をあやすように話しかけることができた。
「僕はなぁ、きぬさんのなぁ・・・」
 きぬゑというのが祖母の名前である。
「そうやったかなぁ~・・・」
 そう言ってなんとも不思議そうに私の顔を覗き込むのである。
 それからしばらくして、母が見舞いと看病に行った時、
「相談したいことがあるんや・・・」
と真剣な顔をした祖母から話しかけられたという。
「誰にも言わんといて欲しい・・・」
「何ぃ!?」
「うちなぁ・・・子ができたみたいやねん」
「!?」
 祖母が頬を赤らめていたという。
「子!?・・・誰の!?」
 誰にも言わんといて欲しい・・・、またそう言って母の耳元でその秘密を告白したのだった。
「あんた、おばあちゃんになんかした!?」
「アホか・・・」
といって爆笑した。母も堪えきれないように噴き出し、父も、
「どういうこっちゃ!?」
と言って笑い飛ばし、なんだか3人でゲラゲラ笑っていたのだけど、そのうちメチャメチャ哀しくなって来て、眼がしらの奥が熱くなってしまった。
「おばあちゃんなぁ・・・産みたいて言うねん」
「・・・どない答えたん!?」
「産んでみ!?・・・みんなで寄って集って育てたるさかい・・・そういうたんや」
「そしたらオカンどないやて!?」
「うれしそうにニッコリ笑て、良かったぁ~助かったァ~・・・皆で育ててくれるんやったらそうするわぁ~・・・言うて、嬉しそうに照れくさそうに布団かぶりハッテン」
「内緒やでぇ、万次さんには内緒にしといてなぁ、万次さんの子とちゃうねんから」
「まかしとき、ウチは口固いさかい」
「良かったぁ~・・・」
「そやけど万次さんもうおらへんで!?」
「どっか行ってしもたん!?そういうたら最近見いひんな」
 母が、あっち、といって天井を指さしたら、
「そうやったそうやった、太平洋戦争でなぁ~・・・」
と呟き、祖母はじっと天井を見つめ続けたのだそうだ。
 祖父は太平洋戦争には召集されていない。昭和46年3月に、祖母に見守られながら逝ったのだった。
 それからしばらくしてまた、父と見舞いに行った。祖母は別に何も変わったところもなく、孫として接してくれた。
 母がそのあとまた看病に訪れた時、愛しの人が見舞いに来てくれて、
「決めたから、とだけ言ったら、わかった・・・というてくれたんや」
 そんなことをまたうれしそうに話してくれたのだという。
 それから一ヵ月もしないうちに、祖母は旅立った。
 八月の暑い盛りだった。
 苦しそうにしている祖母に母が、
「元気な子やでよかったなぁ、約束通りみんなで育てたるさかいなぁ」
 そう言葉をかけると、
「・・・ありがとう・・・それが気がかりやってん・・・おおきになぁ・・・」
 小さな声でそう言うと、今まで苦しそうにしていたのに、落ち着いた呼吸に戻ったかと思うと、そのまま静かに息を引き取ったのだという。
 葬儀の後、ひとしきり親戚中が集まる中、私と祖母の赤ちゃんのことが話題になった。
 あれから22年が経つ。
 その子はもう大学を出る年齢になっている。
 あっちから祖母に見守られて、すくすくと育ったことだろう・・・。