一旦雨が治まった空は、次の雨を溜めているかのように静かに流れ、徐々に暗い雲を
連れてくる。風だけが強く吹き続け、徐々に迫ってくる台風に、人の足も急ぎ足になる。
濡れることなくホテルに辿り着いたつぐみは、入口からフロントの方をそっと見渡した。
大学を卒業した二つ年上の、つぐみの彼氏の晴人がこの春から勤めているホテルだ。徐々に持ち場は変わっていくようだが、新人の晴人はベルボーイを担当している。覚えることも多いし大変だが、晴人はホテルの仕事にやりがいを感じたようで、楽しいとつぐみによく話していた。
まだ大学生のつぐみには、仕事のやりがいとか、楽しさなどは未知の世界で、少し置いてけぼりを喰らったように感じていた。
普段ボブの髪にロングヘアのウイッグを被り、不自然なまでに大きなサングラスをかけ、逆に目立つ変装をして、つぐみは晴人に内緒でホテルに泊まりに来た。
あくまでもこっそり見つからないように晴人の働いている姿を目撃しようと思っていたので、フロント近辺に晴人の姿がないのを確認して、チェックインを済ませる。
とりあえず部屋へ荷物を置きに行こうとエレベーターへ向かう。いつ何処から晴人が現れるか分からないのでドキドキしたが、無事見つからずに部屋の中へ入り込めると、思わず「潜入成功!」とガッツポーズをしていた。
こじんまりとしているが掃除の行き届いた綺麗な部屋に、シングルベット二つとテーブルとソファなどがある。ここが自分の部屋ならいいのにと、狭いワンルームに住んでいるつぐみは思いながらバスルームを覗き、洗面台で鏡を見ると、ウイッグを外しそこに置いた。
部屋に戻りキャリーバックを広げベットの一つに洋服を広げた。そしてポーチを持ってバスルームに向かい化粧道具などをそこに並べた。並べていると「えっ」と言って急に慌て出し、ポーチを探り出した。
「クレンジング忘れたー。最悪だ」
そう言って肩を落とし、少し考えるとバスルームを出て窓に向かう。カーテンを開け外を見ると、財布や携帯を入れて来たバックを手に取った。
空はさっきよりもどんよりとしてきているが、まだ雨は降ってはいない。再び降り出す前に薬局へ買いに行こうと、慌てて部屋の入口に挿してあるカードキーを抜くと、部屋のドアを開け廊下に一歩踏み出した。と、その時男が突然目の前に飛び込んで来た。
「助けて助けて助けてっ」
そのまま男に部屋の中に押し戻されてしまった。
「ひゃっ」
と悲鳴を上げようとした口を押さえられ、怖さに力が抜けてしゃがみ込む。男も
しゃがみ込むと、つぐみの口に手を当てながらも土下座して、泣きそうな顔で
「ごめんなさいごめんなさい。お願いです。騒がないで下さい。何もしないです。本当です。ただ少しの間かくまって欲しいだけです。怖がらせてごめんなさい」
男はひたすら謝り何度も頭を下げる。
「お願いします。助けて下さい」