会場は華やかな空気に包まれていた。
グラスを手に、あちらこちらで人の輪ができ、思い出に花が咲いている。
ホテルに入社して十年、これまで数え切れないほどのセレモニーに立ち会ってきた。一児の母になった今もこの仕事を続けているのは、さまざまな人の喜びを、たとえ一瞬にしろ共有することができるからだ。ただ、今日はいつになく緊張している。それというのも……。私はテーブルに料理を運びながら、今日の主役に目をやった。
中央のテーブルに腰を下ろした志垣教授を記者が囲んでいる。絶え間なくたかれるカメラのフラッシュ。ソフトな語り口で、テレビのコメンテーターとしても活躍していた教授は、メディアの好奇の対象にもなっていた。今日はその志垣ゼミの卒業謝恩会と、彼の教授退官祝いを兼ねたパーティーなのだ。
パチパチと拍手がわき起こった。
「……君……君」
会場隅々に、石垣教授の低く、どこか人を安心させるトーンの声が響いた 。マイクの前に立った彼は、思い出を確かめるかのように、学生一人一人の名前をゆっくりと呼び、卒業証書を手渡していく。
変わっていない……。銀ブチの丸メガネ、きれいに整えられた口ひげ、頭の方はロマンスグレーを通り越して真っ白に近くなっていたが、それが経てきた年月の深みを感じさせている。確かもう七十に近いはずだが……。
笑い声が起こった。記念写真。学生たちの真ん中で、教授がおどけたポーズをとっている。やっぱり変わっていない……。時折見せるあの意外な茶目っ気。かわいいと女の子の人気を集めてたっけ。私も彼にときめくものを、感じたこともないではなかったが……。
ひときわ大きな拍手の中、一人の女性が前に出た。
「志垣先生、長い間お疲れ様でした。私も先生にご指導いただいた者の一人として、今日は一言お礼をと思いまして、駆けつけてまいりました」
「あれ? 星野由美って 今、舞台やってんじゃないの」
近くの記者がつぶやいた。
「いや、なんでも一日休演して来てるらしいぜ」
「へー、あの大女優がわざわざねえ……。果たして二人の過去に何があったのか? 話、聞いてみようかな」
「おいおい冗談だろ。でもすごい顔ぶれだよなあ。芸能人、政治家、スポーツ選手。だてに四十年、教壇に立っていないよな」
教授は星野とグラスを交わしている。でも先程からほんの少し口をつけただけだ。ゼミコンパで生徒が全員酔いつぶれてもケロッとしていた彼が……。寄る年波にはさすがの酒豪も勝てないということか。
私は勇気を出して志垣教授に近づいた。手にはワインセラーから持ってきた一本のボトル。
……覚えているわけがない。私は何の変哲もない、ただの学生だった。たった一度の失敗を除いて。そうであったとしても、やはり私は教授の前を通り過ぎた、何千、何万もの人影の一人に過ぎないだろう。
「ワインはいかがですか?」