美咲は、ホテルのロビーでコーヒーを飲んでいた。荷物は全部、部屋に置いてきて、小さい鞄にスマホと財布だけを入れてここに来た。コーヒーを飲みながら、人の行き交うその空間を眺めている。カップルや家族連れ、あまり面白くなさそうな顔をしているスーツを着た男の人、様々な人がチェックインを済ませて、そのままエレベーターへと向かう。そんな人々の様子を見ている時だった。
「どちらから来られたんですか?」
ふと、誰かに声を掛けられた。その声は低く、男の人だということが分かる。そうして、なんとなくイントネーションが普段美咲の聴いているそれとは違い、恐らくこの地元の人ではないだろうかと予想がついた。その声のする方に顔を向けて、その人を確認する。
「東京からです」
「東京ですか、やっぱり、そんな感じがしました」
その人からは、まったく警戒心を感じることはなく、むしろこちらが心配になるほどに「いい人」というオーラを纏っている。あくまでも、自分の周囲の人間に比べると、ではあるが。
「やっぱり、東京の人はなんというか、お洒落ですよね」
「そうですか?」
「ええ、洗練されているというか。僕なんかとは全く別の人種という気がします」
と、後ろに手を持っていき、その人は頭を掻く。その人の格好をよく見ると、確かに洗練されているとはいい難く、パリっとしていないジャケットは私の通勤している都心のオフィス街ではあまり見られない。いや、パリっとしていないジャケットではなく、パリっとしていないこの人の雰囲気だろうか。そうしてまた、都会の人と比べて疲れ果てている雰囲気がないのもまた、どこか田舎臭く、だからと言ってそれがださいという訳でもなく、落ち着いている。
「観光で来られたんですか?」
「ええ、そうですね。ちょうど有休を使ってきたんですよ」
「そうだったんですね。あの、もしよろしければ一日だけでも一緒に過ごしてくれませんか?」
「私とですか?」
「ええ、あなたがぴったりだと思ったんです」
「はあ」
美咲の頭の中には、たくさんの疑問が浮かんでいる。そもそも一体彼は誰なのか、何の職業をしているのか、何歳なのか、そもそもどうして自分の一日が欲しいのか、何が自分にぴったりなのか。もしかしたら、とてつもなく危ない人なのかも……。いや、でも彼の雰囲気からはどうもそういったものは感じられない。しかし、だからと言って、見ず知らずの人を一〇〇%信頼できるほど美咲もお人好しではない。
一旦落ち着こうと、美咲はテーブルの上に置いていたコーヒーを一口飲んだ。苦いそれは、彼女を現実へと戻してくれる。
「ええと、すみません。まず、お名前を聞いていいですか?」
「ああ、すみません。そうでしたよね。いきなり話しかけて、傍からみたら僕なんて不審者でしかない」
と、彼は相当焦ったのか、先程とは違い早口でそう話している。そんな彼を見ると、どこか申し訳ない気持ちになり、彼女はつい「いえ、そんな」と言ってしまった。