「おじさんを最初の読者にするね」
そう言った自分の声が聞こえた。
もっと早く来ればよかった。後悔の波が押し寄せてきたとき、背後に立つ三朗が三冊の本を持ってきた。それは、明良の著作だった。「岬と風と光のワルツ」。表紙は海辺にたたずむ小さな岬の写真だった。明良がこの町を離れ、はじめて東京で一人暮らしをする中で書いた物語だった。東京の狭いアパートにいると、この町の海が思い浮かんだ。海から陸にむかって吹き上がってくる風。風の通り道が地名になっているこの町。そこでいきる人々。主人公の少年は岬で海を見つめながら、はるか遠い未来を思って小さな町を出る決心をする。
明良もまたこの町を出た。しかし、いままたここにいる。
人間は同じところをぐるぐる回りながら、少しずつ上に向かっていると思う。
三朗の声がよみがえった。
「明良さん、申し遅れましたが、僕と父とで二代続けてファンです」
三朗はそういうと、ほほえんだ。
「明良さんが来てくれて、親父もきっと喜んでいます」
明良は、やっとうなずいた。顔を上げると、窓の向こうでどこまでもつづく海がきらきらと太陽を反射して光っていた。
そのとき、店の入り口のドアが開いて、騒がしい声が店内に響いた。
「サブさーん、おにいちゃーん、ケーキいっぱい買ってきたよ」
明良は三朗と顔を見合わせた。萌香の声だった。続いて、
「あきら先生、今日はこちらにいると伺ってお見舞いにきました」
聞きなれたその声は明良の担当編集者柴崎のものだった。
「ケーキですって、明良先生」
三朗がうれしそうに入り口に走っていった。
次の瞬間、店内に萌香のはしゃぐ声と柴崎の不安げな声が響いた。