神倉は、返答をしながらもネギマを一口で完食した。山下はその姿を見て、ウンウン無言で頷きながら、口角を少し上げる。
「本能的にはもちろん嫌なんですよ、当たり前ですが。でも、彼女を自分の人生の都合に巻き込むのも、それはそれでエゴなんじゃないかなと思っている自分もいて」
「でもね、お兄さん」山下と神倉は、同時にカウンター越しのオヤジを向いた。「人なんてのは、そもそもエゴの塊よ。たとえば、自分たち人間のこと、端から生態系のトップだと思っていただろ」
「違うんですか?」
山下は、カウンターに少し前のめりになった。まるで、男との話を別の方向に反らしたいと思っているかのようだ。
「違うさ。人間は意味付けができるだけだ。都合よく、いろんなもんの意味を人間中心に捉え直しているんだよ。俺たちは本当のところ、植物に、自然界に活かしてもらっているんだぜ」
鶏にもな、とオヤジは串に刺さったハツを持ち上げた。
「だからな、今更エゴがどうとか言っていたって始まらないだろ? わかったフリなんてすんなよ、自分に正直になったらいいんだ。俺なんて、いつ死ぬかわかんないだろ? それはもう、わがままに生きているよ」
そう言いながら、オヤジは焼きあがったばかりのモモの串を二人の前に置いた。特別だ、とオヤジは笑う。山下はすっかり金針菜の件は忘れて、オヤジの特別感ある扱いを喜んだ。
しばらく、山下と神倉は前を向いたままモモを食していた。無言で、一つ一つの身をしっかりと味わいつくすように、一つの串に数分もかけていた。
「どうして、メッセージ開かなかったんですか?」
神倉がいきなり口を開いた。
「え?」
「メッセージ。さっき、気がつかないフリしていたじゃないですか」
「ああ」山下は、意味もなく店内をぐるりと見渡した。天井のライトが一つだけ消えかかっている。「メッセージが来て、いきなり開くのはなんか癪じゃないですか。まるでずっと待っていたみたいで。まあ、待っていたのは確かだけど」
神倉は、無言で頷いた。
「意地を張ったところで、そんなに変わらないのはわかっているんですけどね。せめてもの反逆と言うか、気にしている間に奪われていた時間を取り戻したいというか。心の中に巣食っている時点で、もうこっちの負けかもしれませんがね」
山下はオヤジに会計を頼んだ。伝票が届けられるまでの間、山下はくるりと神倉の方へ向き直った。
「神倉さん、実は僕の彼女にも相手がいるんですよ。皮肉な話ですけど、あなたに会えてよかった。なんだか救われたような気がしました」
神倉は、多少驚きはしていたが、お互いに頑張りましょうとジョッキを再び掲げた。山下のボレロの奏者は右手に戻り、腿のうえで再び劇場型な場面へと移っていた。財布のなかからクレジットカードを取り出して、両手がふさがっている時には右のつま先を動かし、やはりボレロのリズムを刻んでいた。
それでは、と山下は席を立ち。颯爽と出口まで向かった。混雑する店内の人たちをかき分け、出口付近までたどり着いた山下はくるりと振り返って大声で神倉を呼んだ。
「彼女の名前、井上由里子って言うんです。神倉さん、あなたに会えて、本当によかった」
店内にいる人全員が、シンとなって山下を見た。そのまま山下は店外に勢いよく飛び出して走り出していった。
もう何度目かリピート再生されたボレロも、佳境に差し掛かる。管楽器が放つ音が無造作に、計算尽くされたように絡みつきながら最大限に増幅して、叫び声をあげるかのごとく一瞬の間に終了した。
数秒放心していた神倉は、すべての荷物をそのままに店外に向けて走り出した。駅に向かったのか、道玄坂の方へむかったのかはわからない。とにかく、一発殴ってやろうと、神倉は不気味な笑いを浮かべながら走ったのであった。