「1」
「ここはホテルでしょう?」
「えぇ」
「どうして浴衣を売ってるの?」
「あ、ハイ。当ホテルでは『旅をもっと浴衣に』をコンセプトに、浴衣の販売やレンタルサービスを行っております」
「旅をもっと――『豊か』と『浴衣』を掛けてるわけね?」
「おっしゃる通りです」
「浴衣のレンタルって、ホテルに泊まらなくても利用出来るの?」
「あ、ハイ。どなたでもご利用出来ます」
「ここで着替えるの?」
「そうです」
「じゃあ観光した後、またここに戻って来る事になるわね?」
「そう、ですね」
「ふ~ん。じゃあもしレンタル中に浴衣を汚してしまったらどうなるの? 例えばお茶なんかこぼしちゃったりして――」
「え~っと……」
まただ。また客に分からない事を訊かれた。これだからオバサンは質問が多くて困る。
「ちょ、ちょっと確認してきますね~」
そう言って俺は渋々フロントに向かった。ここは、地方都市にあるホテルの一階である。フロアの半分がフロントや更衣室などの設備になっていて、もう半分が浴衣の展示スペースになっている。
「今度はなんだ?」
フロントの宇梶さんが迷惑そうに言った。彼は五十手前のオッサンである。厳めしい面構えにドスの利いた声。指輪こそしていないが、俺くらいの息子がいてもおかしくはないだろう。
「宇梶さん度々すみません。お客様に、レンタル中、着物を汚した場合どうなるのかと質問を――」
「マニュアルに書いてある」
「え」
「お前マニュアル読んだだろ?」
「ハ、ハイ」
「お前よぉ。確かに俺は『分からない事は必ず訊け』って言ったよ? でもな? マニュアルに書いてある事さえイチイチ訊いてこられたら、こっちも仕事にならねんだよ」
「す、すみません……」
彼に謝るのはこれで六回目。パソコンのキーを叩きながら宇梶さんが続ける。
「クリーニング代はレンタル料金に含まれてる。ただ汚れが顕著な場合、あるいは破損をした場合はそのまま客の買い取りだ」
「ハイ……了解です……」
俺は宇梶さんに頭を下げ、とぼとぼポジションに戻った。「お前マニュアル読んだだろ?」だって。もっと他に言い方は無いのか。
先に断っておくが、俺はそもそもホテルマンじゃない。薄茶色のポロシャツを着て客室を掃除する、時給千円の冴えない清掃員だ。にもかかわらず「人手不足だから」という理由だけで、いきなり接客スタッフに回された。いつものように朝出勤して来たら「今日だけだから」とゴリ押しで――。
さすがに清掃員のポロシャツで客前に出るのは――という事で、制服はフロントの宇梶さんと同じ物を着させられた。要するに客から見れば、俺も立派なホテルマンだ。浴衣の知識はおろか、接客の経験なんかゼロなのに――。