東京では、たんぽぽの綿毛も飛ばなければ、その茎が萎れていることもない。生の気配も、死の気配もない。東京にやってきて一カ月、私は仕事帰りに一駅分歩きながらそんなことを思っていた。ついつい、感傷的になってしまう。新卒で広告代理店に採用された私は、はるばる東京までやってきた。今の時代に、はるばるなんて言うのはおかしいのかもしれないが、私にとっては大きな冒険だ。二十二歳までを三重県の端っこで過ごした私にとって、なじんでいるのは立ち並ぶビルではなく広がる田んぼの方だった。
電車に乗ると、人々が揺られるがまま私にぶつかってくる。誰かに、足を踏まれる。声を上げることはない。こんなことは日常茶飯事だし、私だってうっかり誰かの方に倒れ込むこともあるからだ。こんなに人が乗っていれば、この中の誰かは最近両親を亡くしたばかりだろう。この中の誰かは、今日上司に叱られた人だろう。誰かは、おそらく彼女に振られたばかりだ。それなのに、皆、表情を崩すことなくただ吊革を掴んでいる。隣のサラリーマンの制汗剤の匂いがする。これほどまでに距離が近いのに、皆お互いを目に入れていないように見える。なんて遠いんだろう。私は言いようもない寂しさに、泣き出しそうになる。初めての一人暮らし。友達との別れ。強くあろうと気にしていないふりをしてきた小さなことたちが積み重なり、憂鬱が塊となって私を押しつぶそうとしていた。それでも、窓ガラスに映った私には涙の影もない。どうやら無事大人たちの群れに混じれているように見えた。
真夜中、アパートに着くとポストから可愛らしいピンクの封筒が覗いていた。何だろう、そう思って手にとると、裏にはあまりにも懐かしい字でこう書いてある。
「文学少女 リカ様 文学少女 ミチルより」
なんてイタイ名前なのだろう、と笑みがこぼれた。高校時代文芸部だった私は、同じく文芸部のミチルと一緒に放課後詩や小説を書いて見せ合っていた。ヘミングウェイやブロンテの構成に似せられた方が勝ちね、なんて言いながら、100枚でも200枚でも原稿用紙を手書きで埋めて行った。ミチルの字は、いやでも覚えている。そのミチルが、四年ぶりに手紙を送って来たのだ。慎重に封を切ると、中にはメッセージカードと招待券が入っていた。
「リカ、元気にしてる?私はとっても順調。面白いホテルの招待券貰ったら、なぜだかリカの顔が思い浮かんだんだ。ぜひ行ってみて!」
見ると、住所はよく見知った場所だった。私は、繊細に装飾されたチケットを見つめた。無機質な部屋で、金の文字が私を誘惑していた。
電気を消して真っ暗なお風呂に入りながら、私はミチルのことを思い出していた。実家が近所で、小学校から高校までずっと一緒にいたミチルなのに、最近はすっかり忘れてしまっていた。いつの卒業文集でも夢の欄に「有名人になってみんなに好かれたい」と書いていたのを覚えている。そういうミチルの性格が、ときによってチャーミングに見えたりうざったく見えたりしたものだ。「順調」と言ってくるところを見ると、何かしらで有名になっているのかもしれない。
お風呂から出ると、部屋の電気を着ける。私一人分の生活だけを包む部屋が、ライトで照らされる。ミチルのことが気になって、Twitterで検索をかけてみた。
すぐにヒットした。アイコンには、私が高校生のときノートの隅っこに無駄に凝って書いた似顔絵が使われている。フォロワー数は何と10万人。