8月も今日で終わりだというのに、夕刻の太陽は容赦なく照り付けてくる。
父の経営する美容室『MIHANE』を目指して歩く。家から五分ほどの距離。幼い頃から、何度も通った道。大好きなのに。大好きだから。一年半前もの間、足を踏み入れられなかったMIHANE。
私の心の重さが乗り移ってしまったのではないか。そんな風に考えてしまうほど、右肩に掛けたトートバッグがずっしりと重い。長く伸びた前髪と後ろ髪を荒く一つにまとめた髪が、鈍い歩調に合わせて緩慢に揺れる。
バッグの中身は薄いファイルに挟んだ「職業調べ」と書かれた一枚のプリント、それに筆箱とタオルだけだ。軽いものしか入っていないのは明らかなのに、驚くほど重たい。
職業調べは働く大人に仕事について自由にインタビューをし、その内容をまとめるもので、プリントの一番下には将来の夢を記入する欄が設けられている。
将来の夢。わくわくした心で向き合えなくなったのは、いつからだろう。
バッグからタオルを取り出し、顔と首筋に浮き出た汗を乱暴に拭った。こんなはずじゃなかったのに。何度も繰り返し浮かぶ思い。
友人の姉が勤めるお菓子屋さんでインタビューをさせてもらう予定になっていたから、本来ならそこで職業調べの宿題は完成するはずだった。……将来の夢の欄以外は。
ところがインタビュー当日になって、仕事の都合で急に断られてしまった。
「美羽にはお父さんがいるでしょ」インタビューを頼める知り合いはいないかと縋るように相談した母には、強い口調でそう言われた。
父と髪の話をすることを避けている私を、責めているようにも悲しんでいるようにも見える母の目。
母の髪はいつも綺麗だ。父が整えているから。
昨日の夕食の際、ダイニングテーブルで私の右斜め前に腰かけてリズムよくカレーライスを口に運ぶ父に「夏休みの宿題で協力して欲しいことがあるんだけど」と切り出した。緊張して一気に平らげてしまったから、私のお皿は空っぽだ。
「なんだ美羽、宿題終わってないの? 明日で終わっちゃうよ、夏休み」
からかうように、父が笑う。
「職業調べっていう宿題だけ終わってなくて。それで、お父さんに美容師の仕事のこと話してもらえないかな」
父はもぐもぐと口を動かしながら真剣な顔で二度頷くと、グラスの麦茶を一気に飲んだ。
「わかった。明日の閉店の時間にMIHANEに来て。そこで話そう」
空になったグラスをことりと置く。瞬間、父の目線が私の髪のあたりに動いた気がして、心がぎゅっとなる。
「ありがとう。よろしく。ごちそうさま」
私はその視線から逃げるように二階の自室へと裸足で駆け上がった。
MIHANEの看板が見えてくる。落ち着いた深い色味の木をベースに軽やかな白い文字で店名が記され、右横には凛とした羽根が描かれている。
夕陽を浴びて、その羽根が美しく光ったように見えた。