陽炎立ち昇る街角に、容赦ない日差しが照りつけてくる夏の昼下がり。
潰したホースの先から放物線状に落ちていく水飛沫が空中に小さな虹の橋を描く。
客足も途切れたタイミング、初夏の店頭で表通りの道端に打ち水しながら私はふと後ろを振り返った。見上げた先にあるのは美容室「BOUQUET(ブーケ)」のプレート──この店の名が刻まれた看板だ。
これを掲げてからもう何年になるのだろう。つい懐かしく物思いに耽った瞬間、すぐ傍から悲鳴とも呻きともつかない奇妙な声音が聞こえてきた。
慌てて視線を振り戻すと、よそ見の間にホースの水を頭から被ったらしい女性が、びしょ濡れの状態で目の前に立っていた。
「……もしかしてこれ、無料シャンプーのサービスだったりします?」
「いえ、あの、も、申し訳ありません!」
縮み上がりながら私は咄嗟に頭を下げた。けれど彼女は濡れ鼠のままでけたけたと笑った。「いや、おかげでちょっと涼しくなりましたよ。だってあっついですもんねえ今日」
幸いにも怒っている感じではなさそうだった。せめてものお詫びに、おずおずと私は彼女に声を掛けた。
「ほんとにすみません。あの、もし今お時間あるようなら、すぐにシャンプーとブローをさせて頂きますが……。もしよろしければカットもやりますので」
「え、カットまで頼んじゃっていいんです? ……じゃあ、ちょっとお言葉に甘えちゃおっかな。幸い、時間だけはたっぷり持て余してるんで」
出会い頭から明るい印象の彼女はそう言って笑った。
「──カットはどんなふうにしたいですか?」
「もうお姉さんの好きなように切ってください。カットモデルだと思って何でもご自由に! あ、でもできたら思い切り目立つ感じのがいいかも」
丁寧にシャンプーを終えた後、鏡越しの彼女に向き合って考える。
「そうですね、お客様に似合う感じだと──」
「厳密には客って訳でもないし。良かったら、あぐりとでも呼んでください」
「あ、はい、ではあぐりさん。……苗字ですか? それとも下のお名前で?」
その質問を待っていたように彼女はふふん、と胸を張ってみせた。「実は、芸名なんです」
「あら。もしかして役者さんとか?」
「ああーやっぱこの罪作りな美貌のせいで隠し切れないですよね」
そう言って彼女は大袈裟に苦悶の表情を浮かべてかぶりを振った。しばらくの間、辺りに流れた沈黙をようやく破るように彼女が言う。
「……冗談です。芸人やってます」
「あ、なるほど芸名ってそっちでしたか」
「ノアのはこべらってお笑いコンビ、知ってます?」
「いえ……すみません、あまり詳しくなくて」
「いやいや、まあ知られてなくてもしょうがないんですよね。ろくにライブもできてないし、ましてやメディア露出とか皆無なんで。駆け出しならそれでも可愛げがあるけど、あいにくこれでも結成八年目」
オーバーに肩を竦めて彼女は嘆いた。