メドゥーサ、というのがわたくしのはじめてのあだ名でございました。
中高一貫の、カトリック系の学校を中学受験いたしました。この学校は両親の強い勧めでしたので、合格発表で自分の番号を見つけた時にはホッとしたものです。一年生の頃は、みなまだ幼く小学生の延長といった具合で、教科のたびに入れ替わる先生方や、聖書の授業、食堂の使い方、教会の清掃など、初めての経験にあたふたしながらも、学校に順応することに一生懸命でした。
二年生になって少し過ぎたあたりでしょうか。学校の近くに名の通ったファッション街があり、多感な年頃の女子の興味は、だんだんとそちらにかき立てられてゆきました。人ごとのように書いてしまうのは、わたくしどうも、お洒落というものに縁遠かったのです。吹奏楽部での練習や勉強で日々忙しかったことにくわえ、父が昔気質で、わたくしがお友達から頂いた可愛らしいヘアピンを着けているだけでしかめ面になり、そんなものはまだ早い、と言って取り上げるような人でしたので、何となく距離をおくようになったのかもしれません。とにかく勉強と部活を。両親ともが口を揃えて言いました。わたくしの漫然とした性格も手伝って、しぜん二人の言いなりとなっておりましたが、成績が上がるのは愉快でしたし、フルートを吹くのも楽しかったです。
それなりに充実していた中学生活に変化が兆したのは三年生のとき。先述の通り、クラスの男子がわたくしのことをメドゥーサと呼び始めました。ギリシャ神話に登場する、あの怪物です。蛇の髪を生やし、目を合わせた者を石に変えてしまうという。周りの女子は「ひどい」「可哀想」とさざめいておりましたが、当のわたくしはいまいちピンときていないのでした。石化の力など勿論持ち合わせておりませんし、髪の毛も蛇ではありません。少し、天然パーマでしたけれど。部活で仲良くさせていただいている男子に尋ねてみました。なぜ、メドゥーサなのでしょうか。
「ああ、あれは照れ隠しみたいなもんだ。真中はきれいだし、相手の目をじっと覗き込む癖があるから。緊張しちゃうんだよな。優等生な上に誰に対しても敬語だから、どこか別世界の生き物みたいに感じてさ」
わたくしは今でも彼に感謝しています。その時ずばり仰ってくださらなければ、自分を変えようと思い立つことはなかったでしょうから。中学三年という若さで、異性に面と向かってきれいなどと言ってのける男子は、他にはいなかったように思えます。随分と大人びた方でした。幼少期から音楽に親しまれていて、将来はオーボエ奏者になりたいと仰っていました。素敵な夢をお持ちなのです。
話を戻しましょう。あだ名の由来を知ったわたくしは狼狽しました。言われてみれば女子はまだしも、男子とはどこか距離を感じておりました。思春期とはそういうもの、と思い込んでいた自分は愚かでした。からかってきた異性を追いかけまわす彼女達や、宿題を写させてくれと、女子に手を合わせ懇願する彼らの表情は甘やかで、楽しそう。改めて眺めているととても羨ましくなりました。誰も、わたくしを直接にはからかったりせず、あだ名を呼ぶほかは必要事項の連絡ぐらいでしか言葉も交わしませんでしたので。
いつの間にかあだ名は定着し、女子からもメーちゃん、またはメド子と呼ばれるようになりました。嫌ではありませんでした。
ですが、折しも高校への進学が近づいて参りましたので、わたくしは礼拝堂で誓いを立てたのです。高校に上がったら同級生に対する態度を改めます、と。勉強と部活だけではない、瑞々しい学生生活を送りたい。その為には何をすればよいか、真剣に考えました。
同級生に対する敬語を控えること。長くうねる髪を切って快活な印象を与えるよう努めること。ユーモアを研究すること。
この三つが重要課題でございました。
卒業式は淡々とこなされました。殆どの生徒が同じ敷地内の高校に上がり、先生方の顔ぶれもそのままなので、特に感慨にひたることはありませんでした。わたくしはただただ緊張しておりました。今までの自分とは今日でさよなら。春休み中の作戦を思うと、期待と不安が渦巻いて頭に立ちこめます。