「あ、いえ!」
手を布に合わせてしまっていたらしい。さっきからずっと心の声ダダもれだ…。
「ではお切りします!1 万円相当にしますからね!」
「…お、お願いします!」
大橋さんはいつにも増して気合が入っていた。というか、いつもはあんまり要望も言えずにぼんやりしている私に合わせて静かにしてくれていたのだろう。こんなにちゃきちゃきしている大橋さんははじめてだった。
あの人は、私の一つ上の先輩で、いつもかっこよくて、気が利いて、面倒見がよくて、その場にいる誰もが好きになってしまうような人だった。あの人に好きになってもらいたくて、メイクやらおしゃれやらを慣れないながらも頑張った。が、告白して、きれいにフラれた。フラれた後、傷心の私が健気にトイレで生まれて初めて有意義なメイク直しとやらをしているときに、外で先輩は私の同期の女の子に告白されていた。なんてタイミングだと思ったけど、地球はずっと回るわけで。先輩はあっさり OK して、あとはもう覚えていない。その女の子は、はちゃめちゃにかわいくて、頑張らなくても自然におしゃれをしてしまうような、でも性格もいい、素敵な子だった。しょせん向いてないやつが無理に頑張ったところで、かなわないのだ。あほらしくなって、おしゃれも、一か月一回の美容院も、やめた。
「こんな感じでいかがでしょうか…?」
想像よりはるかに短くなっていた。というか、ベリーショートじゃないか。めちゃめちゃ挑戦的。今までの私ならとてもじゃないけど選べない、怖くなりそうな髪型だ。でも。
「すごく、いいと思います」
「気に入っていただけましたか?」
「はい!ありがとうございます」
「よかったです!」
自分でいうのもなんだが、今までの自分で一番似合っている髪型だった。
「最初にご覧になってた雑誌で、ずっとこの感じの髪型のページを見てらっしゃったので、それを参考にしてみました」
なるほど…って、私はあの雑誌、滑るようにしか見てなかったはずだから、ちょっと違う…いや、内心憧れていたんだった。確かにあのモデルさんっぽい。嬉しい。ステキ!
「お客様のまっすぐな髪質とも合うと思いますよ」
まっすぐな髪質、か。いろんなものをそぎ落としたようなスタイリッシュな感じは確かにまっすぐな髪の毛の方がいいのかもしれない。
足元にあるものすごい量の髪の毛を、アシスタントさんがきれいに箒ではいてくれた。私が歩く道ができた。
「お会計、11000 円でございます」
「え!」
「冗談です」
「冗談で消費税までご丁寧に入れないでください」
「ふふふ。失礼しました。お会計、6600 円です」
「はい」
そういえばアンケートで 6000 円って言ったけど、正確には 6600 円か。なんなら四捨五入したら 7000 円。ちょっと間違えたか…。
「大丈夫ですよ」
「え!?」
「おつり、400 円です」
「あ、はい、ありがとうございます」
「それと」
「はい」
「きっと素敵な人があらわれると思います」
「…ありがとうございます」
「いってらっしゃいませ」
自分の背がちょっと高くなった気がする。外の空気はしゃんとして冷たくて気持ちよかった。その空気に耳をすましながらあの通りを歩いて、電車に乗った。揺れる電車の中で、私はまっすぐ進む線路の先を見ていた。