「お昼は冷蔵庫にオムライスがあるから、チンして食べてね。歩のことよろしくね」
「はいはい。分かってるから、いってらっしゃい」
「はーい、いってきます」
いつもとは逆の玄関で送り出す側に立つのは、中学生になったばかりの私には少し照れ臭い。対象的に嬉しそうに笑顔で手を振り、ひらひらのスカートをなびかせ出ていく母の顔は、チークでふわっと桜色に染められ、控えめなベージュのリップが瑞々しく輝いている。いつもは無造作に一つに束ねられて窮屈そうな髪の毛も、今日は風を受け軽やかに揺れている。
決してヘアスタイルがきまっているとは言えないし、生え際は黒く染まり始めているのだけれど、不思議なことに美容院に向かう母は綺麗だ。ウキウキと弾むような足取りで、家事と子育てに追われるお母さんから、私が生まれる前の私の知らない一人の女性に戻っていくみたいだ。
「ねぇ、ママは?」
寝起きの目を擦りながら四歳の弟が少し不安そうに尋ねた。弟はちょっと心配になるくらい母にべったりなのだ。
「ママは今日はシンデレラの日。お昼はお姉ちゃんと食べよう」
私と弟の間では二ヶ月に一度の母の美容院の日をそう呼んでいる。父は海外に単身赴任中だから、この日だけは姉弟二人っきりで過ごすことになる。
「じゃぁママ、キレイになって帰ってくるね!」
本当のシンデレラは魔法が解けて帰ってくることを、ニコニコと無邪気に笑う弟はまだ知らない。弟がもっと小さかった頃、ママがいない、と美容院に行っている間中泣きやまないのをどうにかするために、ママはこの日妖精さんに魔法をかけてもらって、綺麗になって帰ってくるのだと教えたのは私だ。弟は、朝はいつもまだ眠っているから、着飾った母が出掛けて行くのを見たことがないのだ。
母がとびきり美しくなるこの朝が、私は少しだけ嫌いだ。舞踏会に向かうシンデレラのように、母にとってはここが逃げだしたい生活なんじゃないかと考えてしまう。
キャリアウーマンだった母は私たちのために仕事を辞めた。離れた場所に暮らす父の代わりに、できる限り私たちの側にいようと決めたのだと祖母から聞いたことがある。嬉しそうに出掛ける母を見送る度に、もしかしたら母は無理してこの生活を続けているんじゃないかという不安が胸を掻き立てた。
「お姉ちゃん、お腹すいた!」
幼い弟はそんな事知るはずもない。私もここ最近、自分の『将来の夢』というものを問われるようになったあたりから、そんなことを考えるようになったのだ。
「お昼は歩の好きなオムライスだよ」
「やったー!」
私だってもう二人分のお昼くらいは作れるのに、母は必ず二人の好物を朝用意してから出掛ける。母は娘から見ても美人で働き者で、なんでも器用にこなせる人だ。そんな母は、朝お弁当を作って、私と歩を送り出して、洗濯して、掃除して、買い物して、私たちを出迎えて、夕飯を作って、片付けて、たまの美容院だけがこの世界から抜け出せる唯一の手段だなんて生活を望んでいたんだろうか。私たちのためだけに生きる日々を本当に望んでいたんだろうか。
「ただいまー!」
「おかえりママ! うわーママ、きれい、かわいい!」