「姉ちゃんたちさあ、毎日鏡の前であーでもないこーでもないってずっと髪の毛いじってんの。で、髪型が決まった時は機嫌がよくって、イマイチな時はイライラしててさ。俺にまで八つ当たりするし。島崎さんもそういうの分かる?」坂口はそういって、宏美の顔を見る。
「すっごく分かる。ちょっと寝癖とかついてて、直らなかったらもう最悪。その日は一日中気になってしょうがないもん」宏美が大きく頷いていると、坂口は「やっぱそうだよな」と宏美にリズムを合わせてうなずいてみせた。
「髪型ひとつで笑顔になったり、不機嫌になったりするのっておもしれーと思ったんだよね。でさ、俺の手で笑顔の人とか、上機嫌の人が増やせるんなら、それっていいじゃん? って思ったわけですよ」と、坂口は少し大げさに胸を張って得意げな様子で歩いてみせる。
「さっき、さ」坂口は少し言いにくそうにしながらも話し続けた。
「前髪がうっとおしいってときの島崎さんの顔、なんかイラついてるっていうか、悲しそうで。前髪を伸ばしたいんならもっと似合う髪型があるのになあって、いつも見てたんだ」
そこまで言うと急に恥ずかしくなったらしく、「ヤッベ、おれ何言ってんだ」とぐわあっと頭をかきむしった。宏美も「いつも見てた、だなんて告白っぽくない?」と思えば思うほど恥ずかしくなった。照れてうつむいたまま歩く、二人の並んだ影が長く長く伸びていた。
「カットモデルの第一号は宏美にお願いしようかな」
「うん。いつでも協力する。楽しみにしてるからね?」
卒業式の日、坂口は宏美に向かって少し照れたような笑顔を見せた。高校卒業後、坂口は美容院のアシスタントとして就職が決まり、すこし離れた街に住むことが決まっていた。宏美も大学に進学し、心理学の勉強をすることに決めた。髪型ひとつで上機嫌になったり、ふてくされたり。人間の気持ちって面白いなあと思ったのだ。坂口が言ったことに感化されたところもあるけれど、それは内緒にしてある。
ふたりが目指す場所は違っていて、それぞれに歩み出した。道のりは遠い。高校を卒業してからは、顔を合わせることはほとんどなくなった。それでも、ときおり坂口からのメールが宏美の携帯電話に届いた。弱音が書かれていることもあったけれど、辞めたいとは書かれていなかった。それでも自分が選んだ場所で立ち続けるためには、日々手を動かし続けるしかない。
「980円ちょうどです。ありがとうございました」
高校を卒業して、もうずいぶん月日が過ぎていた。仕事からの帰り道、宏美は閉店間際の本屋に駆け込んだ。その日発売されたばかりのファッション誌は、平積みされてレジ前に置かれていた。雑誌を一冊レジに差し出し、お会計を済ませる。雑誌をバッグに入れようかと思ったものの、宏美は我慢できずに雑誌をぺらぺらとめくった。事前に教えてもらっていたページのすみに、よく知った名前が小さく記されていた。
「ヘアメイク:坂口亮平」その見知った名前のうえを、宏美は優しく指でなぞった。