隆志は名前を呼ばれて顔を上げた。そこにはつい今まで接客をしていた椎名さんの顔があった。
「はっ、はい」
隆志は慌てて返事をした。
「急なんだけど、今晩一緒に飲みにでもいかない? 行きたい店があってさ。予定ある?」
「えっ、あっ特に予定はないですけど……」
「じゃあ仕事終わったら行こう。約束ね」
椎名さんは爽やかに微笑むと、自分のデスクへ戻っていった。
椎名さんに誘われたことなんていままでなかった。もちろん職場全体の飲み会はたびたびあるが個人的には初めてだ。なんだか緊張する。
※
椎名さんに連れられて入ったお店はどこにでもありそうな居酒屋だった。特に目立った特徴もなくどうしてこの店に来たかったのか疑問だ。
「乾杯」
椎名さんと生ビールのグラスを合わせた。
「いやあ、それにしても。忙しくて疲れるね。さすが繁忙期」
疲れたという割に、生ビールをくいっと飲む椎名さんの顔に疲れの色はない。むしろ力がみなぎっているように見えた。たしか椎名さんは野球部出身だ。今も体は締まっているし体力がありそうだ。
「あのう、珍しいですね。椎名さんが僕を誘ってくれるなんて」
隆志は正直に尋ねた。
「ああ、そのこと。だって横山君、今日一日ずっと元気なかったでしょ。これでも一応先輩だから悩みがあるなら聞こうかなと思って」
「あっ、そうだったんですか」
「もしかして迷惑だった?」
「いえいえ」
隆志は首を横に振った。迷惑でもこうリアクションするほかない。
「で、なにかあったの?」
「まあ、何かあったっていうか……」
まさか美容室を追い出されて落ち込んでいるなんて言えるわけがないし、落ち込んでいる理由の一部が椎名さん本人であるなんて言えるはずがない。
「ま、いいや。お酒飲んでさ、話す気持ちになったら言ってよ」
椎名さんはそう言うと、店員さんを呼び料理を注文した。
本心を言えるはずがないと思っていた隆志だったが、酔いが回り始めたことと、椎名さんが聞き上手なのが相まって、昨日の出来事をすべて椎名さんに打ち明けていた。
「えっ、何、その美容院。すごいねえ」
椎名さんは笑った。隆志と違い、酒に強い椎名さんは隆志の倍は酒が進んでいるのにも関わらず、一切乱れていない。一方隆志は酒に弱く、生ビール三杯でほろ酔いを超えていた。
「ほんと、ひどいですよね。何様のつもりなんだよ」
隆志は大声で毒づいた。