「でも母は、お客さんがきれいになって帰っていくのを見るのが、本当に好きだった。夕方になるとね、いつも扉に向かって『よっしゃ、今日もみんなきれいにしたった!』って叫んでた。それが店じまいの合図」
美咲はそれを聞いて、胸が痛くなる。自分は仕事の何が好きだっただろうか。何が好きでデザイナーを目指していただろうか。沈んでいく気持ちを感じながら頭によぎったのは、ある日の職場だった。
それは女子大生が試着室のカーテンを開けたときだった。美咲は声をかけた。
「いかがでしたか?」
いつも通りの定型文だった。だがその女子大生は、歯切れ悪く返した。
「サイズはいいけど、なんか思ったより似合わなくて。好きな色なんだけどなぁ」
女子大生はワンピースの袖をまくったり、襟をゆるめたりしている。それを見ていた美咲は、ひらめいたように言った。
「少々お待ちください!」
美咲は慌てて奥にかかっていたワンピースを持ってくる。
「こちらはお客様がお召しになっているものと同じ生地ですが、襟などの装飾がよりシンプルでして・・・こちらの方がお客様の華やかな雰囲気にはぴったりかもしれません!」
女子大生はワンピースを受け取って体にあててみた。たしかに今着ているものよりも大人びた雰囲気が、似合っている気がする。
「うん、こっちかな」
女子大生はいろいろな角度から鏡で確認する。その様子に、美咲はどこか誇らしさを感じていた。
美容室では、佳代がカットを段取り良く進めていた。しばらくふたりの間に会話はなく、美咲はまもなく面接の日を迎える仕事のことを考えていた。脳裏に浮かぶ、求人広告の文字。
《ウェディングドレスの試着スタッフ募集。花嫁様のドレス探しをお手伝いする仕事です》
「はい、できた」
佳代が声をかけた。美咲が鏡を見ると、髪の表面に入ったハイライトが艶やかで、清楚ながらも明るい印象の美咲がいた。真っ黒ではない、自分らしい明るさがしっかりと伝わる、華やかな髪。美咲は次第に自信に満ちた表情を浮かべていた。
「面接、いけそうです」
美咲が会計を終え、店を出る。佳代は見送りをすると言って、店の外まで出てきていた。
「じゃぁ、がんばっておいで」
「はい、ありがとうございました」
美咲は明るい表情のまま、店をあとに歩き出す。佳代からは逆光で見えにくいが、それでもしばらくは美咲のうしろ姿を見ていたいと思った。
「がんばってね、美咲ちゃん」
そのつぶやきに、店の外で雨どいの修理をしていた男の手がとまった。
「みさき・・・あ、さっきのってまさか高校の時の・・・帰ってきてたのか」
男が顔をほころばせながら振り返ると、足取りの軽いうしろ姿が遠くにあった。