その日、美咲は泣いていた。初めて訪れた美容室で、ケープを巻かれたまま泣いていた。
「美咲ちゃん、どんな風にしたいやらあるかな?お姉さんがきれいにしちゃるよ?」
美容師の佳代は、美咲のうしろから鏡越しに話しかけた。だが、美咲はむすっとした表情のまま、返事はない。普段ははつらつとしている佳代も、意固地になった小学 3 年生にはどうすることもできないでいた。
ここは佳代の母、ミツ江が若い頃から営んでいる「ミツ江美容室」。外観は古びた佇まいだが、室内はあたたかみのある木製家具と観葉植物の組み合わせで小洒落た印象だ。佳代が入り口付近にあるソファに目をやると、ミツ江と美咲の母が話しているのが見えた。
「学校で髪をからかわれたみたいで」
美咲の母は疲れ切ったような声を出していた。
「あがいに量が多くてくせ毛なら、扱いづらかったじゃろうに」
ベテラン美容師からかけられたなぐさめの言葉に、美咲の母は続けた。
「子供だからと私が切っとったんですけどね、もっと早うここに連れくればよかった」
佳代が鏡に目を戻すと、美咲は相変わらずの表情。肩のあたりで一直線に切りそろえられた髪は左右に広がって、美咲の頭は三角形になっていた。
「どのくらい切ろうか。真似したいアイドルやらおらん?」
佳代の声がむなしく響く。そこへミツ江がやってきた。ミツ江は美咲の髪をひと束手に取ると、
「こがいに多くてええねぇ。きれいな髪でおばさん、うらやましい」
そう言って毛束を指に巻いた。
「このうねりも、みんなお金を払ってパーマにしとるんよ。美咲ちゃんの髪もお手入れで見違えるようになる」
その言葉に、美咲の顔に入っていた力は抜けた。
それから 16 年。ブリーチをかけたロングヘアの少し派手な女性となった美咲は、あのときと同じ鏡の前にいた。
「しばらく見んうちに、ずいぶん大人びたね」
佳代がうしろから声をかける。昔より下がった目尻が、ミツ江によく似ていた。だがミツ江を上回る肉付きの良さは、遺伝のせいだけではなさそうだ。
「高校以来ですからね。私もいろいろありましたよ」
美咲はどこか自虐的な笑い方をしながら応えた。佳代は気にせず、美咲の毛先を手に取る。
「東京では自分で染めとったの?毛先がけっこう傷んどる」
「そうなんです、あまり給料が良くなかったので。でも色は変えたかったし」
「やりすぎは良うないよ」
佳代は美咲の髪を手櫛でとく。
「だって髪型変えるの、楽しいんで。こうなれたのもおばさんのおかげですよ。おばさんにばれないうちに、傷んだところ切っちゃってください」
佳代は手を止めた。そのまま、うしろの棚に飾っている写真に目をやった。そこにはハサミを片手に笑顔でポーズをとっているミツ江がいた。