「母はね、4 年前に亡くなったんよ」
美咲は驚いて、鏡越しに佳代の顔を見た。
「ごめんね、知らせが届かんかったみたいで」
美咲は少し言葉につまったが、なんとか応えた。
「いえ、こちらこそ・・・」
「いいんよ。また美咲ちゃんが来てくれて、母も喜んどる」
美咲の母も既にこの世にはおらず、父がこの場所のことを知ることはなかった。美咲が東京からミツ江のことを知る術はなくなっていた。
少しだけ、ふたりの間に無言の時間が流れる。
が、入り口の扉が勢いよく開く音で、その沈黙は破られた。
「ごめんください、雨どいの修理で伺いました」
やたらに明るい声で入ってきたのは、作業着を着た若い男だった。
「ちょっとごめんね」
佳代はそう言って、男のもとへ向かった。
「お兄さん、急で悪いね。次の雨が来る前にお願いしたくて」
「場所はどちらでしょうか」
「こっち」
佳代の案内で、男が外へ出て行く。
急にひとりになった美咲は、東京にいた頃を思い出していた。
3か月前、美咲は東京のアパレルショップで働いていた。服をたたんでいる美咲に、エリアマネージャーの男が声をかける。
「高橋さん、手が空いたら裏に来てもらえる?」
その言葉に従い、美咲がバックヤードに向かうと、男から切り出されたのは美咲の異動話だった。
「え、生産管理部ですか?」
「そう。とは言っても高橋さんは本社勤務になるみたいだから、メインは資材の発注とかの事務仕事でしょ」
淡々と話す男とは対照的に、美咲はこわばった表情を見せていた。
「あの、私はデザイナーになりたくて。企画部志望だったのですが」
「そういえば何回も社内コンペに応募してたね」
「デザイナーになるために学校で専門知識を学びました。もう一度希望を出してみてからではだめでしょうか」
必死にすがる美咲に、男は冷たく言い放った。
「生産管理も専門知識が必要だよ」
ふと気づくと、佳代が戻ってきていた。
「ごめん、待たしたね。それで今日はどうする?」
美咲はあわてて笑顔に戻る。
「とりあえず真面目に見えるように、黒くしてください」その言葉に佳代は、昔の光景が見えた気がした。
それは佳代が「ミツ江美容室」で働き始めて間もない頃の、若い女性とのやりとりだった。
「黒くしてください」
佳代は確認のために聞いた。
「黒染めでいいですか?真っ黒になりますが」
「はい、そろそろ就活が始まるんで」
「そうですか、わかりました。準備しますね」
佳代はそう言って、カラー剤を取りに棚へと向かう。だが、ミツ江が呼び止めた。