「はい」
息子さんは渋った。
それはそうだろう。
「蓋、取らないといけないしなあ。十分、綺麗だから大丈夫ですよ」
「あの、私のために切らせてもらえませんか? はっきり言って生き残っている側、私のわがままですが、このままだとこれから生きにくいんです。髪を切るつもりだった鈴木さんに、髪を切ってあげられずにお別れしちゃったなって」
母は頭を下げた。故人のためにでなく、自分のためと告げるのは正直過ぎるから、もっと上手い言い方がないものかと思うが、そこが母の良い所だと思う。
沈黙が漂って、お線香の匂いが鼻腔の奥まで入ってくる。
「うちのお嫁さん、美容師だから大丈夫よ」
祖母が助け舟を出した。
「上手なんだから任せてよ。ね」
息子さんが口を開いた。
「分かりました。母ちゃんを思ってくれる友達がいてくれて良かったです。単なる酔っ払いの婆さんだと思っていましたから」
息子さんは葬儀社の方を呼んだ。
体を起こすことはできないので、寝たままできる所だけという条件で棺桶が開けられた
ひんやりとした冷気が溢れでてきて、鈴木さんは寝ているのではないと感じ取れた。
母はカバンから、くしとハサミを取り出した。最初からそのつもりで来ていたようだ。
鈴木さんに向かって斜めに立ち、手を入れ込んで、頭を撫でるように髪を切り始めた。
私は母がカットした髪を入れるビニールを持って、母の脇に立った。
もう伸びる役割を終えた白髪がビニールの中に溜まっていく。
軽い。
「終わりました」
母がそう言うと息子さんが鈴木さんの顔を覗いた。
「いや、すっきりしました。母ちゃんも喜んでいると思います」
祖母が棺桶の脇に立ち、鈴木さんを見た。
「良かったねえ。どう?」
鈴木さんの口へと耳を近づけるために、祖母は顔を棺桶に突っ込んだ。
「うんうん。花札やろうね。そうそう。うん。伝えるね」
祖母が顔を上げて母の方を向いた。
「ありがとうだって」
その言葉に頷いて揺れた母の髪の根元は白く輝いていた。