八十を超えた酔っ払いのお婆さんと聞くだけでは豪傑なお婆さんと思えるけれど、実際に目の前にいると結構困る。髪を切っている間もずっと喋り通しだし、カットの出来に納得しないと『あー、ちゃんとお店に行けば良かった』なんと言い放つから、いくら酔っ払いの放言でも良い気がしない。
私も以前、デパートの前を通りかかった時、入り口の自動扉の所で大声を出して店員さんと揉めているお婆さんがいる声が聞こえるので、そちらを見ると顔を猿のように真っ赤にした鈴木さんだった。見つかると面倒なので、私は逃げるように去ったのだ。
鈴木さんは夫を亡くし、息子さんは遠くに住んでいるから一人暮らしで、付き合いは近所の人だけ。やることもないから、私たちがお茶を飲む感覚で、お酒を飲んでいるらしい。
「鈴木さん、呼んでくる」
髪を切って気持ちも軽くなったらしい祖母が出かけて行った。母が水を飲みに台所にやってきた。ビールの商品名の入ったグラスに水を注いで一気に飲み干した。
「あー、水、美味しい」
「うちと大して距離変わらないのにね」
私は油を天ぷら鍋に注ぎながら反応をした。
「水源が違うらしいよ」
「へえ」
コンロが点火する音とともに外から何か大声が聞こえた。
「鈴木さん、今日も酔ってるな」
「大丈夫?」
「頑張る」
母は美容室へと戻って行った。
私は油の中にかき揚げを入れた。
鈴木さんの大声が聞こえる。
「テレビ、良い所だったのよ。それを呼ばれちゃってさ。ちゃっとやってね」
「じゃあ、止めときます?」
母が明らかに機嫌の悪い声で答えた。
「え? せっかく来たのよ」
「でも、テレビいい所だったんでしょ? そんなすぐには終わりませんよ」
「私が行ったことのある美容室なんてすぐにやってくれるわよ」
「じゃあ、そこに行けば良いんじゃないですかね」
かき揚げが揚がる音と遠くに走る原付のエンジン音だけが聞こえるくらい静かになった。
「じゃあ、そうするよ! 美容室に行ってプロに上手に切ってもらう!」
鈴木さんが再び大声を出して去って行ったのが分かった。
三人で蕎麦を食べた。
かき揚げに卵まで浮かべた豪華版だ。
黄身を最初に潰した祖母が母に謝った。
「今日は、ごめんね。鈴木さん」
「お婆ちゃんが謝る必要ないよ。私も鈴木さんが相手なんだから気を長く持てば良かった」
母は蕎麦で黄身を隠し、つゆに浸した。余熱で少し固める方針だ。
「本当に美容室行くのかな?」