―うねる前髪の戦いに加わる美容師―
鏡の前の葵ちゃんはいつもより緊張しているように見えた。この前来たばかりなの に、今日どうしても行きたいと連絡があったから、何か覚悟があるのかもしれない。葵ちゃんはいつも鏡越しで私と話すことを辛そうにする。一番気にしているであろう前髪の癖が強く出た状態で、自分を見るのも見られるのも嫌なんだろう。私にもそういう時期があった。それでも今日は、顔を上げてしっかり目を合わせてくれた。
「私、この前髪を、何とかしたいんです。」
葵ちゃんの体から、緊張や恥ずかしさが湯気を立てて出ていくのが見えるようだった。
「わかった。どうしたい?まっすぐしたい?⾧く伸ばしたい?このまま生かしたい?」
「一日でいいからすごいきれいなまっすぐにしてみたい。」
言い切った瞬間に、葵ちゃんはもう前の葵ちゃんではなくなったように見えた。よく言えた。あなたが、こうしたいと言ってくれるのを、私はずっと待っていた。
「OK。やってみよう」
葵ちゃんの顔が輝く。こんな顔をするのを見るのは、まだお母さんについてきていた頃以来だ。
葵ちゃんの髪に薬剤を塗る。葵ちゃんの前髪の癖は強いけれど、髪の毛自体はとても細くて柔らかいから、縮毛矯正ではなくてストレートパーマで、毛先は少しだけカールがつくようにセットする。葵ちゃんが真剣な顔で私の作業を見ている。
「高橋さんに早く相談すればよかった。」
「するのに勇気がいる相談もあるよね。」
「ママが急にね。髪のことで困ってるなら高橋さんに相談しなさいって言ったんです。」これは一回喧嘩したな、とわかる声で葵ちゃんは言った。
「ママの遺伝のせいで苦労してるのに、他人事みたいに言うな!って言い返したの。そしたらママが、ママのせいにしてもいいけど、その髪で生きてくのは葵なんだよ!っ て。ひどくないですか?こんなぐるぐる遺伝させといてさ。それで、むかついて今日ここに来たんです」
「遺伝させといてっていうのもひどいけど。」
「そうですか?でももっと早く相談すればよかった。言っちゃったら何でもなかった。こんな髪だし、困られたり、笑われたり、無駄だって言われたりするかと思ってたの に、大丈夫だったから」
「えー!信用ないなー!」
葵ちゃんは楽しそうに笑いながら、ごめんなさいと言ってくれた。私は葵ちゃんの変化が嬉しくて追加の薬を取りに行った裏の部屋でも笑みがこぼれて、後輩たちにどうしたんですか珍しいと小突かれた。