「お任せします。私の、いちばん素敵な姿で、彼の記憶に残るようにしたいんです」
気持ちはわかる。痛いほどわかる。好きだった人と別れる時に、私も、そんな気持ちを抱いたことがあるから。
髪を少しさわってみる。くせが強い。個性的と言えば個性的な目鼻立ち。うまくいくだろうか。目を閉じて、集中する。一生懸命、イメージをふくらませる。すこし、髪の毛を捻って、ボリュームを持たせて、と。あ、ちょっと見えて来た。かすかに何かを掴めた。そのイメージが逃げないように、そっと寄っていって尻尾を捕まえる。よし、これでやってみよう。
じゃあ、いきますね。そう言って、鋏を使いだす。躊躇していたら駄目になりそうだから、思い切ってばっさりカットする。だんだんと、イメージに近づいていく。ドライヤーで髪の毛を飛ばす。シャンプーはしないから、ここからが仕上げだ。弾さんとオーナーが見守っている。白いチューブの黒い蓋を開け、モールディングワックスを使って髪の毛を整える。うん、なんとか、イメージ通りにできてきた。彼女の期待通りかどうかはわからない。でも、自分の中では、彼女の良さがよく出ているスタイルに仕上がっている。指で全体を整えてから、テーブルクロスをはずす。よかった。服装にも馴染んでいる。ガラスの鏡を見ていた彼女が、何度もうなずく。泣きそうな目になる。あ、もう泣いたら駄目ですよ。会ってからにしないと、そう声をかける。
芹奈さんは、涙を一生懸命こらえて、ありがとうございます、といって頭をさげ、左手首の時計を大事そうにさすっている。オーナーにお礼を言って、三人で彼が食事をしている場所へと小走りで向かう。弾さんが声をかける。大丈夫、間に合います。お連れの人は私が理由をつけて連れ出します。だから、彼に会うことだけを考えて下さい。
港の施設の中にあるレストランの入口で、私は見守っている。弾さんが、男の人の向かいの、奥さんであろう赤いドレスの女性に近寄って話しかけ、彼女を伴って出てくる。すれ違いざま、弾さんが芹奈さんに目で合図をする。芹奈さんが入場する。近づいて声をかけると男の人が立ち上がる。ちょっと、驚いている。セリフは聞こえないけれど、まるでドラマを見ているみたい。芹奈さんは懸命に話している。結婚すること、ドイツにいくこと。男の人は頷きながら聞いている。素敵な人を逃してしまった、という顔に見えなくもない。芹奈さんはお辞儀をして、背筋を伸ばして退場してくる。拍手をしたい気分になる。芹奈さんは気丈に涙をこらえ、振りかえって彼に手を振る。彼も手を振り返す。出入り口の私のいるあたりですれ違って、赤いドレスの女性が席に戻っていく。ちょうどいいタイミングだ。ブラボー、弾さん。男の人は奥さんを迎える。何だった? と聞かれた奥さんが、たいしたことじゃなかった、という感じで答えている。彼のほうは、未練があるような表情で、こちらをちらちらと見ている。
出てきた芹奈さんは、ほとんど倒れそうだった。弾さんと二人で、抱えるようにして到着していたバスに向かう。バスに乗り込むと、芹奈さんは我慢しきれなくなって泣き崩れた。涙でぐしょぐしょになりながら、弾さんと私に交互に礼をいう。ありがとうございました。おかげで、私の一番いい状態の姿を、彼の印象に残すことができたと思います。本当に、ありがとうございました。私と弾さんは、どう声をかけていいかわからない。手を握って、泣いて震えている肩をさするくらいのことしか。弾さんが、マイクで、ツアーの人にアナウンスをする。おかげで目的は達せられました。お待たせしてすみませんでした。ご協力ありがとうございました。そうして、わたしに向かって賞賛の拍手をしてくれる。ツアーのみんなも、雰囲気で察して、拍手をしてくれた。ああ、私の腕が誰かの役に立つことができたんだ。