「時間はどのくらいあるんですか?」
弾さんに聞く。
「レストランでの食事を含めて、出発まであと一時間は大丈夫だと思います」
急いで考える。できるだろうか? 鋏とすき鋏があればなんとかなるかも。幸い、研修があるから持ってきていて黒いバッグの中にある。ピンがあるから髪は止められる。ドライヤーもバッグに入っているから、シャンプーができなくても、髪の毛を飛ばすことはできる。あとはワックス。これも入っていたはず。それで形を整えることができれば、何とかなりそうだ。よし、やってみよう。この人のために、いまの私にできる限りのことをしよう。
でも、どこで切ればいいのだろう? 狭いバスの中や、春の陽気とはいえ野外というわけにはいかない。
弾さんが飛び出していく。どうみても、このあたりに美容院はなさそうだ。やがて、息をはずませて帰ってきた。
「今は閉店しているんですが、この近くのレストランだった場所を貸して貰えることになりました。オーナーの方が、使っていいよ、と言って下さってます」
バスは、食事をする予定の場所まで行って、一時間後に戻ってきてくれることになった。ツアーの人たちも、弾さんがサービスのクーポンをつけます、と言ったことがあるからかもしれないけれど、快く了解してくれた。
私は黒いバックをひっ掴む。とにかく行ってみようと三人で店に向かう。気の良さそうな、小熊みたいなオーナーが迎えてくれた。小さな店だ。海に面して大きな窓がある。
「なんでも好きに使って貰ったらいいけど、鏡とか、洗面台とかはないよ」
「ありがとうございます。なんとかします」
そう私は答える。鏡は? なくても、最悪、前に回りこめば確認はできる。でも、見ながらの方がやり易い。時間もはやい。ああ、そうだ。この窓を使わせて貰おう。
「すみません。黒い布とかはありませんか」
オーナーはすぐに理解して、黒い布とガムテープを持ってきてくれる。弾さんが外に回って布をガラス窓に貼ってくれる。
テーブルクロス、お借りしていいですか? いいよ、気にせずに使ってくれたらいい。 あと、タオルを貸していただけませんか。普通のタオルでいいんです。
芹奈さんにスツールに座ってもらう。ガラスの鏡に顔を写す。タオルを首まわりにつめて、髪の毛が入るのを防ぐ。その上に、テーブルクロスを巻いて、ピンでとめる。ボウルを貸してもらって、髪を湿らせるための水を張る。芹奈さんは、ずっとすすりあげている。彼との想い出に溺れそうになっている。そうして、ガラスの鏡越しに、必死に私に訴えかけている。この人は今、私しか頼る人がいないんだ。できるなら、何とかしてあげたい。想いをかなえてあげたい。でも、あまり時間がない。細かいことはいっていられない。なんとかなるはず、と自分で言い聞かせる。国家試験の時のあの緊張感に比べれば。
私は芹奈さんにたずねる。
「どういう感じにしましょうか?」