それからいきなり目の前が明るくなって、おばさんがひょっこりと現れた。「あれ、あれ」と言っている間に椅子が元の角度に戻されて、カーテンがガサッと開かれた。おばさんは、鏡越しに私の目を見つめながら「どうだった?」と聞いた。
「どうだったって、夢の話ですか?」
「汚れ落とせた?」
「まあ、すごくスカッとはしましたけど。え、でもこれ夢ですよね?」
「もう! めんどくさい女ね。シャンプーしている間だけ過去に戻れるんだってば。あんたの中身だけ、タイムマシンに乗ったみたいに過去に戻ってるの」
おばさんは得意げに鼻を鳴らした。
「そんなわけ」
スマートフォンを開いて驚愕した。今日のやりとりはおろか、そもそもアイツの連絡先自体消えてるじゃん。私はワナワナしながら、「どうしてくれるんですか!」とおばさんのことをキッと睨んだ。
「どうするもこうするも」おばさんはニヤニヤ笑った。「あんな男とはそういう定めじゃなかっただけよ。あんたのその素敵な髪の毛を失うにはもったいない男だっただけね」
まあ、確かに結果は変わっていないわけだけど。「納得していいのかなこれ」と、私は頭を抱えた。
「というか、どういう原理なんですかこれ?」
おばさんはそのことには触れずに、「これでわかったでしょ、シャンプーしたら過去に戻れるの」と余っていたケンタッキーをもう一本頬張り始めた。
私はおばさんを凝視した。過去に、戻れる。その言葉が本当なのだとしたら、ここ数年ずっと欲しかった体験じゃないか。
「本当に戻れてるんですか、これ」
「嘘ついてどうするの」
「それなら」今度は自分で椅子を倒して、私はギュッと目を瞑った。「もう一回、シャンプーしてください」
プチプチ、ガリガリ。おばさんは、何も言わなかった。代わりに、私の目のうえに静かにタオルを置く。シャワーの温度が安定するまでしっかりと湯を流し、そうかと思うとまたフルーツの香りがしてきて、カリカリと耳の後ろをかかれた。私の体は、やっぱり椅子にめり込んでいった。
「どうして言ってくれなかったの?」
懐かしい顔、エミコだ。明大前の駅のホーム。電車が過ぎ去っていく度に、何度も染めて痛みきったパサパサの金髪が頬を打った。大学生のとき、一番仲の良かったエミコがずっと忘れられずにいたしょうもない男と、何の気の迷いか私は付き合ってしまったのだ。気まずくて言えなかった話が、エミコの耳に入ってホームで激詰めされていた。
「二人で、私のこと陰で笑ってたんでしょ?」
ちゃんと話せば良かったのに、何を思ったかこのあと私はエミコのことを無視してそのまま改札まで走って行ってしまった。若いってバカ。それからエミコとは会わなくなって、私は大事な友達を一人失ってしまった。どうしてちゃんと話せなかったんだろう。
「そんなことしないよ」今回は走り出さないで、私はエミコに向かって叫んだ。「付き合っているのは事実。でも、エミコのことを陰で笑ったりなんか絶対にしてない。エミコのこと、すごく大事だよ。本当に大好きなの」