「とにかく切ってもらいたいんです。耳の下あたりまで、がっつりとやってください」
私は、さっき見せられた写真の女を思い出していた。
「いい髪なのに。もったいない」
「いいんです。伸ばしている理由もなくなったから」
おばさんは「ふうん」と言いながら私の側頭部あたりの頭皮を両手でガシッと掴み、ワシャワシャと前周りに円を描いた。
「シャンプーしよっか」
そう言うが早いか、私の椅子をガコンと斜め後ろに倒して、シャンプー台までザーッとボブスレーのように押していった。シャンプー台の周りのカーテンが閉じられると思った以上に暗くなって、先ほどから抱えていた不安が爆発した。「やっぱりやめます」と震える声が出てしまったけど、おばさんはお構いなしに「いつがいい?」と言いながらお湯の温度を調節していた。
「はい?」
「戻るの、いつがいい? シャンプーしている間に、過去に戻してあげるから」
これは絶対やばい店だ、と思った。このタイプの流れは悪い新興宗教にハマっていくときのやつと同じだ。暗示にかけられて、たぶんこのおばさんが描かれたタペストリーかなんかを渡されて、家の壁にかけたのを眺めながら私もケンタッキーを食べることになるに違いない。
「バカねあんた、タペストリーなんてあげないよ」おばさんはゲラゲラ笑った。「だから紋切り型なのよ」
考えていることが筒抜けなことへの驚きはさておき、この言葉には腹が立った。「私の何がわかるんですか」と椅子から起き上がって怒鳴ったけど、すぐに椅子に押し返されて「すみません」と謝ってしまった。
「いい? 何言ってるのかわかんないかもしれないけど」おばさんは、私のおでこの方からひょっこり顔を出して大きな声で言った。「やけになる前に汚れを落としてきなさい。私が一生懸命にシャンプーして頭皮は綺麗にしてあげるから、あんたは自分の汚れをなんとかしてきなさい」
「なんなんですか、一体?」
「まあいいから」
そう言っておばさんは無理やり私の目の上にタオルを載せて、フルーツの香りがするシャンプーでゴシゴシやり始めた。耳の後ろをカリカリやられて私は心底気持ちがよくなり、強張っていた全身の力がフッと抜けて椅子にめり込んでいくようだった。
目を開くと、ガヤつく居酒屋の座敷に座っていた。シャンプーしながら寝てしまったのだろうか。夢にしてはやけにリアルだなと思っていたら、目の前にアイツが座っていて、驚きのあまり膝がテーブルの下にガタッと当たった。アイツは、「黒髪ロングの子ってグッとくるんだよね」と言って嘘くさい笑顔を浮かべていた。なんだ、やっぱりちゃんと言ってるじゃん。いまの私に、そんな嘘通用しないんだから。
「そんなこと言って」私は持っていたお湯割をぶっかけそうになるのを抑えながら左手を伸ばし、アイツの右肩に手を置いて笑った。「ほんとはギャル好きじゃん。ちゃんと、たまには違うタイプの子と寝たいだけって言いなよ」
そういえば、この後こいつとホテルに行っちゃったんだっけ。変に期待させられたんだ、むかつくなあ。でも、そう言ってやったあとのアイツの顔はすごくひん曲がって見えて、なんだかすごくスカッとした。ざまあみろ。