珠代さんは肩を落して力なく答えた。
私の予想通りの反応だった。本当は彼と別れたくないのだろう。
彼のことを尋ねると、彼は二十五歳で取引先の印刷会社で営業の仕事をしているという。彼とは化粧品関係の販促物パンフレットを作る打ち合わせで知り合いったそうである。付き合いはじめて二年になり、彼が主任に出世した祝いの日にレストランでプロポーズされたのだそうだ。
その場で断れなかった珠代さんは考えさせてほしいと言って、次に会う時に返事をすると答えたのだそうである。そしてこの日、返事をするつもりでいたのだという。
珠代さんの坊主頭が完成すると同時に車が駐車場に止められる音がして、彼はすぐに店のなかに入ってきた。背が高くて真面目そうな男性だった。
ドアを開けて入ってきた彼はすぐに鏡の前の椅子に腰かけている珠代さんを見つけた。声をかけようとして声がでないようだった。無理もない。目の前には坊主になった恋人がいるのだから。
「坊主にしちゃった」
珠代さんは目を伏せて言った。まっすぐに彼の目を見られないようだった。
「どうして、丸坊主になんか……」
絞り出すように彼は聞いた。
「タカ君に嫌われようと思ったの。髪の毛のないこんな女と結婚したいなんて思わないでしょう」
「え、意味がわからないんだけど」
「もっとタカ君にはふさわしい人がいると思うの。若くてかわいい子が」
「珠代ちゃんが坊主になったからといって、僕の気持ちはかわらないよ」
「だって長い髪が好きだって言っていたじゃないの」
「長い髪は好きだけど、それ以上に珠代ちゃん自身のことが好きだから。髪の毛がなくなったくらいで気持ちはかわらないから」
何をわかりきったことを聞いているんだ、という感じで彼は答えた。その声には微塵の迷いも感じられなかった。
「わたし、一生坊主にしているかもしれない」
「じゃ、僕も同じように一生坊主にするよ」そう言うと彼は私に向って「頭をこの場で坊主にしてください」と言った。
珠代さんは両方の目から涙を流し始めた。その涙を拭うこともなく、まっすぐに彼を見つめた。
彼も泣きそうな顔つきになった。「もしかしたら困らせたのかな」
これ以上見ていられなかった私は、こっそりとドアを開けて外にでた。これから先のことは見なくてもわかる。きっとふたりが納得する結論をだせるだろう。
店の前には駐車場があり、横は小さな空地になっていて、その空地の端に桜の木はたっていた。咲きはじめた花のつぼみは一週間後には満開になって空地を鮮やかに彩っているはず。私は桜のつぼみを見あげながらふたりの未来を想った。彼には意地悪な試みをしてしまったと反省しながらも、本当の気持ちが聞けてよかったと安堵していた。