「あら、まぁ富岡さん!久しぶりでしたねぇ。今日はパーマですか?」
「はいそうです、天気がよくて幸いでございました。」
「あ、そうですね天気が良くて気持ちがいいですね。」
「いえいえ、今日は切ってほしいのです。」
どうも話しがかみ合わない。それでも何故かことは進むのである。回転椅子に案内しゆっくり鏡の方へ戻すとお客とすみ子の顔が上下に並ぶ。カットクロスをやさしげにかけ首まわりにくくる。さりげなく人差し指をさし入れきつさ具合を確かめる。霧吹きで髪を湿らせ、あとは要望を聞きながら手慣れた手つきでカットをはじめる。おそらくは認知症が進み始めているこちらのお客さん。それでもその世界観に一緒にうつろい、二人はその節々で笑っているのである。正しいかどうかより、今が楽しめるかにこだわるのがすみ子なのだ。
富岡のおばあさんは帰り際に何か渡してきた。すみ子の手の平に片手を添えてポトリと落とす。見るとかわいいイチゴの飴だった。実のところこの飴は先程すみ子があげた飴なのだが、そんなことはどうでもいいのだ。その気持ちがうれしいとすみ子は笑った。
ある日、愛犬の銀次郎が子供を産んだ。四つの小さなサツマイモみたいだ。しかしすみ子、これには腰を抜かした。なんせ銀次郎はオスだとばかり思っていたから。すみ子はとにかく銀次郎の赤ちゃんらに毛布を与え、銀次郎には温めた牛乳を飲ませた。メスなのに銀次郎などという勇ましい名前をつけてしまった、そんな不手際を詫びる意味もあったのだ。それでも白いフサフサ毛のやさしい銀次郎は少しも不愉快な顔はせず、すっかり母親の顔になっている。やさしい眼差しで赤ちゃんたちの寝顔を見つめている。長男の健一と次男の康太もこの小さな赤ちゃんたちをえらく気に入り、何時間も横に張り付いて眺めている。
銀次郎が子どもを産んだという噂はまたたく間に近所に広がった。美容室に来る何人かのお客さんからはさっそく一匹分けてほしいという要望も出てきた。正直四匹の赤ちゃんと母親の銀次郎を養っていくことは少々きついものがあった。そんなことで一匹譲ってあげることにした。
その日の昼過ぎ。学校から帰って来た康太がたいへんな形相で美容室に飛び込んできた。
「お母さんたいへんだ!赤ちゃんが一匹いなくなっているよ。」
すみ子は苦笑いで事情を説明した。康太は激怒しその場で泣き崩れ、しばらくのあいだ打ち上げられたゴマフアザラシのように横たわっていた。そのうち大人の事情も少し理解したのか立ち上がり、振り向きざまにもう絶対に一匹たりともあげないことを約束させられたのだった。それでも赤ちゃんたちは依然として地域に人気がある。一匹、また一匹とお客さんにもらわれていくのだ。その都度康太は哀愁のゴマフアザラシとなる。ついに最後の赤ちゃんがもらわれていった時、一番落ち込んだのは母親の銀次郎だった。当然といえば当然だ。自分の赤ちゃんが次から次へと消えていくのだから。そのせいか忽然として銀次郎はいなくなったのだ。近所の家やいつもの散歩コースを探しても見つけることができなかった。自分の赤ちゃんたちを探しに行ったのかもしれない。そう考えるとすみ子も息子たちも胸が締め付けられた。
一週間経っても帰ってこないため、すみ子は新聞社へ連絡して「探し人」ならぬ「探し犬」の記事を出してみることにした。小さなスペースに銀次郎の顔が小さく載った。