だいたいこんな調子でお客さんは愚痴を吐き、すみ子の仕事はスタートする。すみ子は地域で先生と呼ばれている。美容師を先生と呼ぶ風潮は以前から確かにある。だがどうやらそれだけではなく、お客さんが溜め込んだ不満や心配を受け止め、独自のアドバイスをする先生でもあるようなのだ。
いかにひどい嫁かというお客の愚痴に一緒になって盛り上がり、笑い涙を拭きながら二杯目は紅茶にしましょうかと準備が始まる。もう何しにここに来ているお客なのか、すみ子もすみ子でここで何の仕事をしているのかなどは、すっかり分からなくなり日が暮れていく。愛犬の銀次郎はいよいよ腹を空かせ、しびれを切らせて嘆き鳴くその声を聞き、初めてもうこんな時間だと気がつくのだ。
次の日には昨日話しに上がっていた嫁本人がお客として店に来たりする。
「先生。先生は姑で苦労したことありますか?」
こんな感じでいかに偏屈な姑で困っているのかという話しが、水道管が破裂したかの様な凄まじい勢いで噴き出してくる。それと一緒に盛り上がり自分の苦労もスパイスさせて、腹を抱えて笑うのである。
そんなある日。
となりの家から子どもの泣き声がある。いつになく大きく長く続いていた。しばらくはそんなこともあるだろうと聞き流していたが、あまりの泣き方に異変を感じ出向いて呼び鈴を鳴らしてみた。すると即座に飛び出てきたのはこの家の娘五歳である。見ると玄関先で母親が裸で震えて座り込んでいる。その先には主人らしき男が大いびきと大の字で寝込んでいる。すみ子は子どもと母親に衣服を着せて、主人にはそこらのタオルなんかをかけておいた。母親が落ち着いたころに事情を聞くと、酔っぱらって帰って来た主人が風呂に入っていた母子と喧嘩になったらしい。その結果怒りを爆発させた主人は、暴れまくって脱衣所の大きなガラスを派手に割ったらしいのだ。
そんなことでしばらくすみ子はここの母親の相談役となっていたが、ある時期から主人からも相談を受けるようになっていく。なぜこうなるのかは分からない。しかしながらすみ子本人は、こうした面倒な事柄自体をむしろ楽しんでいるような、やりがいを感じているようなそんな表情をしてオハギなんかを食べている。
またある日には、入口の呼び鈴が弱々しく鳴った。出てみると久しぶりの富岡さんだ。こちらのおばあさんはおそらく八十歳も半ばすぎくらいの高齢の方である。はるか遠くから板の上のビー玉みたいにあちこちに揺れながら、やっとのことでこの美容室に漂着するお客さんである。