でも、と今なら思う。お母さんには思ったほど怒られなかったし、涼太には否定をされなかった。
芽生えていた反抗心がしぼんでいく。
それから一か月も経たない内に美月は髪色を戻すことを決めた。今度は染めるのも自分でやろうと思ったが、それはお母さんに止められた。
「美容室で戻しなさい。理恵さんのところでちゃんとカラーしてもらって。トリートメントも」
「え、でも高いよ」
「いいから。あ、おすすめのシャンプーとトリートメントも買ってきなさい」
美月の家はお小遣い制ではない。必要なときにその都度お金をもらっている。こないだのカラー剤と持ち込みのカラー代はお年玉貯金からだしたが、黒のカラー剤もそうするつもりだった。
もらったお金を財布にいれながら、美月はアルバイトをするようになったらまずこのお金を返そうと心に決めた。
「わあ! すごい!」
鏡にうつった自分はヘアカタログのモデルのようである。
「やっぱりこっちのがいいね。大人っぽい」
理恵さんも出来に満足しているようでうんうんと頷いている。
「大人かあ……わたし二十歳になったらもっと大人になってると思ってました」
「いやー二十歳なんてまだまだ若いよ」
快活に笑う理恵さんは、今は三十代前半か半ばだろうか。相変わらず若々しい。だけどその中身は美月が追いつけないくらい大人であることを知っている。
「あの、わたし中学のときに髪染めたことあったじゃないですか」
「ああ、あったね。なつかしい」
「今更ですけど、巻き込んじゃってごめんなさい。あと本当にありがとうございました」
最後の方は気恥ずかしくて小声になっていたし、いつのまにか顔も俯いてしまっていた。昔と変わらず今でも自分は気弱なままだ。
「もし感情的に『理恵さん髪染めて!』なんてお願いされてたら多分断ってた」
え、と美月は顔をあげる。理恵さんは微笑みながらもその瞳はまっすぐだった。
「でも美月ちゃんはあのときすごく言葉を選んでたでしょ。ああ、これは一人ですっごい悩んで決めたことなんだなって思って。本当は止めるか親御さんに確認するべきだと思った。でも気づいたら『分かった』って言ってた」
それから一呼吸おいて理恵さんは苦笑いを浮かべた。
「まあせめてもの罪滅ぼしでサービスでトリートメントしたけどさ。美月ちゃんのお母さんに電話で怒られたとき、つい『一応うちで一番いいトリートメントしておいたので』とか口走っちゃって。あのあとお母さん差額払いにきてくれてさ。本当なにやってんのわたしって思ったよ」
美月を見つめながら、理恵さんはなおも続ける。
「電話での美月ちゃんのお母さんさ、最初は怒ってたけど段々と勢いが弱くなっていってね。最後には『でもあの子が何も言ってくれないのはわたしに責任がありますよね』って言ったの」
「え?」
美月は仏間で見たお母さんを思い出す。そして、その後の様子も。
「美月ちゃんすごいって思った。お母さんに信用されてるんだって。わたしさ、美月ちゃんの髪染めながら『頼む! 君の力でこれを正解にしてくれ!』って祈ってたんだ。結局美月ちゃん頼みだったの。かっこ悪いよね」
何か言おうと口を開くが言葉にならない。せっかくメイクをしてもらったのにアイラインがにじんでしまっていた。
美月の最大の反抗期だった中学二年生の秋。ヘアカラーは一人でもできたはずだ。でも美月は理恵さんにお願いすることしか頭になかった。理恵さんに迷惑がかかることにも気が付かないで。
きっと無意識に理恵さんを頼っていたのだろう。そして理恵さんはそんな自分を受け入れてくれた。怒られるだろうと覚悟しながら、それでも美月を信じてくれた。
「メイクやり直そうか」
理恵さんがメイク道具を取りにその場を離れる。美月はティッシュに手を伸ばしソッと涙をぬぐった。
鏡に映る二十歳の自分。髪はあのとき以来一度も染めていない。大学生である今はそれこそ自由に髪を染められる身分であるが、中学生で気が付いたのだ。自分は元々のこのソフトな黒が一番似合うと。
中学のときに買っていったシャンプーとトリートメントはお母さんも気に入り、家では今も常備している。そのおかげか美月の髪はとてもきれいだ。
「お待たせ。じゃあちゃっちゃっと直して次は着付けだね」
理恵さんがメイク道具を片手に戻ってくる。その笑顔をみながら、「理恵さんはやっぱりかっこいいよ」と美月は心の中でつぶやいた。