決意してきたはずの言葉はなかなか口からでてこなかった。ぎゅっと一度目をつむってからバックに手を伸ばす。
「これ。持ち込みでお願いしたくて」
差し出したものを見て理恵さんが目を丸くする。
「カラー、したいの?」
理恵さんはカラー剤を受け取ってからまっすぐと美月を見つめた。
オレンジがかった明るめの茶色。分かりやすいものをあえて選んだ。
「うん。だめ、かな」
発した声は弱々しくそのまま床に落ちていく。それを理恵さんは拾い上げた。
「分かった。いいよ」
美月は勢いよく顔をあげる。理恵さんは真面目な顔で頷いた。
「じゃあシャンプーからね」
理恵さんは美月に何も聞かなかったし、いつもだったら止まらないおしゃべりもこの日はほとんどしなかった。それでもこわいなんてことは全くなくて、理恵さんの姿は粛々と役割をこなす手練れた職人のように美月の目には映っていた。
明るい茶髪に染まった美月を見て、お母さんは愕然とした表情だった。何考えてんのだとか早く元に戻しなさいとまくしたてるお母さんに背を向けて、美月は二階の自分の部屋へと逃げ込んだ。
お母さんはなおも部屋の外からあれこれと言っていたが、しばらくしてから沈黙が続き階段を下りる音がした。静かになった部屋でむしろ不安を覚えた美月はソッと階段を下りてリビングをのぞきこむ。そこにお母さんはいなかったが、仏間の方から声が聞こえてきた。
少しだけ襖を開けて中を見る。お母さんは電話をしていた。もしかして、と美月の顔から血の気が引く。お母さんは理恵さんに電話をかけているのではないか。
だけどお母さんの声がそこまで怒りを含んでいないことにも気が付いた。くぐもっていてなんて言っているかはわからないが、さきほど美月を怒鳴りつけていた勢いはない。
お母さんが電話を切ったのであわてて襖を閉めて自分の部屋へと戻る。少ししてからドアが小さくノックされた。
「美月、開けて」
美月はベッドにもぐりこむ。落ち着いた声ではあるけれどやっぱりこわかった。
「お母さんこれから美容室行ってくるから」
え、とベッドから飛び起きてあわてて部屋のドアを開ける。お母さんは美月の髪を見て「うっ」と目を細めた。
「理恵さんは悪くないの! わたしが勝手に……」
「ちょっと待って。怒りに行くんじゃないの。差額払ってくるだけだから」
「差額?」
「少しでも髪の痛みやわらげるように良いトリートメントしてくれてたらしいの。それがお金とってないみたいで」
美月は「あ!」と声をあげる。そういえばカラーをした後のシャンプーはいつもより念入りだった。あのときにトリートメントをしてくれたのだろう。