「不幸もええとこでしょ。夫は入院中の私を元気づけようとして、一人で撮った写真を病院へ持って来てくれました。キャンセル料がかかるくらいやったら、一人でも撮った方がええかな思って、言うてね。明るくてユニークな人やったんです。そやのに、その二日後、交通事故でね」
それが棚にいくつか並ぶ写真の一つだと、すぐに分かった。タキシードを着た男性の背景には、満開の桜が咲いている。
初めて会った時に感じた、触れてはいけないユエさんの過去を知った僕。「不幸だなんて、そんなことないですよ」とか、「きっと、これから良いことがありますよ」とか。そんな言葉は扇風機の風にさえ散ってしまいそうなほど薄っぺらいものだと感じた。やっぱり、何も言えなかった。
「さぁ、忙しいのにありがとうございました。次の仕事があるやろうから、どうぞ行って下さいね」
「すみません・・・・・・お邪魔しました」
ユエさんは僕に気を遣って、さりげなく退室を促した。情けなかった。
夏が終わるとユエさんを訪ねる頻度は減った。ユエさんは相変わらずのペースで生活を送っている。一人、そっと、静かに。
それでも僕との距離は少しずつ縮まり、いろんなことを話してくれるようになった。
ユエさんの様子がいつもと少し違ったのは、年末の挨拶に伺った時だった。
「私、最近、考えるんです。来年の春に七十歳を迎えると、夫を亡くした三十五の時から、ちょうど三十五年が経つんやなって」
つまり、ユエさんは人生の半分を喪に服し、そして、誰が悪いわけではないはずなのに、病床に伏した自責の念を抱いて生きてきた。
「いい加減、踏ん切りをつけんと、とは頭では考えてるんですけどね・・・・・・」
薄っすらと僕に笑みを向けたユエさん。その表情には「進めないんですよね」と、続く言葉が潜んでいる気がした。
ユエさんは仏壇を見つめた。西の窓からの陽射しが、その顔をほのかに赤く染めていた。
「それ、めっちゃいいやん!」
隣のテーブル席に座る客から冷やかな視線が向けられた。迷惑をかけておきながら、軽く会釈する僕の顔は少しニヤけていたことだろう。幼なじみのアスカの言葉がそうさせた。
「いやさぁ、私も考えてたんよ。自分の技術を何か社会の役に立つように使えへんかな、って」
アスカは僕の最良の相談相手だ。仕事のことや恋愛のこと、ジャンルを問わず何でも聞いてくれる。
「じゃあ、春にしよ。桜が咲く頃に決行できるように話してみる」
僕の提案に、ユエさんは「そんなん、結構ですよ、恥ずかしいですから」と言いながらも、まんざらでもないことは、この数ヶ月の付き合いで読み取ることができた。そんな表情だった。
「これは、僕の友人のためにご協力いただくつもりで引き受けて下さると、助かります。お願いできませんか?」
「協力?」
「ええ。そいつは美容師として何か社会の役に立つことを考えてるんです。だから、お試しって言うと失礼かもしれませんが、とにかく実行してみたいって。だから、僕からもお願いします」
少しの間をおいて、ユエさんは静かに答えた。