いずれにしても「おばあちゃん」と形容するのはためらわれた。ただ、何て言うのだろう・・・・・・陰があるというか、容易には踏み込めない何かがあるというか・・・・・・これまで多くの気難しい高齢者と出会ってきたが、また違う雰囲気を醸し出していたのがユエさんだった。
結局、ユエさんはヘルパー利用を拒んだ。「まだ、人様のお世話にはなりたくないです」と。しかし、僕が担当ケアマネジャーとなり、外出時に使用する歩行器のレンタルだけは希望した。最近は膝の痛みがひどく、歩行に支障をきたしているそうだ。
築五十年の若葉荘。ユエさんの居室には六畳の和室と小さなキッチンがあるだけで、トイレは共同、お風呂は近所の銭湯へ行かなければならない。どこか懐かしさを感じるが、高齢者が生活するには障壁が多い。
ユエさんの部屋には小さな仏壇が置かれていた。仏壇の隣にある棚の上には、いくつかの写真が並ぶ。そのいずれにも同じ男性の姿があった。
彼がユエさんの人生において、何かしらの大きな影響を与えた人物には違いなかったが、尋ねることはできなかった。なんとなくユエさんの心の傷を抉るような気がしたから。
ユエさんはこの夏の暑さで食欲が低下し、もともと華奢な体つきなのに一か月で二キロも体重が減ったそうだ。再び熱中症になるリスクは高かった。僕は週に一回はユエさん宅を訪ねるようにした。若葉荘には他に数名の利用者さんが住んでいたので、そのついでに顔を出した。
「本当に申し訳ないお願いですが、お仏壇に供えるお花を買ってきてもらえますか?」
体調がすぐれないというユエさんからの依頼に、僕は二つ返事で応じた。
「こんなことまでお願いして悪いですね、助かりました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。来て良かったです」
ユエさんは仏壇に花を供えると、鈴を鳴らして手を合わせた。
「夫なんです」
「いつ、お亡くなりに?」
「三十九歳の時です」
「そうですか・・・・・・」
あまりにも早い死に、僕はそう答えるしかできなかった。
「交通事故でね、あっけないですね、人の命って」
ユエさんは僕のほうを振り返ると「どうぞ、座って下さい」と、座布団を敷いてくれた。九月に入っても暑さは続いていた。扇風機が相変わらず生温い風を送り出している。
「私たち、結婚したのが遅くてね。私が三十五歳で夫が三十九歳の時でした」
僕はさっきのユエさんの言葉を思い出していた。亡くなったのが三十九歳と聞いたはず。結婚したのも三十九歳ということは・・・・・・
「たった数か月やったんです、私たちの結婚生活は。正確には、ほとんど一緒に住むことはありませんでした」
ユエさんは左手の薬指に視線を落として目を細めた。それは、僕の名刺を見た時の表情とは違った。
「ちょうど結婚した時に夫の会社が倒産してしまって。当面の生活をしていくため、結婚式はいつかお金が貯まってからにしよう、って。そやから、まずは写真だけでもって予定してたら・・・・・・今度は私に癌が見つかってしもてね」
僕は何も言えないまま、ユエさんの話を聞いていた。僕が発する言葉は、どれも無責任に思えたから。