高校の入学式の次の日、廊下の先からこちらに歩いてくる彼を一目見ただけで、わたしは恋に落ちた。そう、わたしはあの一瞬で、恥ずかしくなるくらいあっさりと深みに落ちてしまったのだった。思わずその場に立ち尽くして、通り過ぎる彼の背中を振り返って見送って。目をつぶったらいつでも、スローモーションでその瞬間を思い出せるくらい、まるでマンガのような恋だった。
ちょうどそのとき、廊下の窓から見えていたのがこの桜だった。高台に建つ校舎の裏は街を見下ろせる崖になっている。その傍でひっそりと、でもウソみたいにきれいに桜が咲き誇っていた。風に舞い散る花びらが西日にきらめいて、時が止まったように美しかった。もし満開に咲くこの桜の木の下で、彼に想いを告げることが出来たなら、たとえ散っても後悔しないだろうな。わたしはそのとき、そう強く思ったのだった。
そうしてわたしは、そういえば去年もひとりで、窓から桜満開のこの木を眺めながら、
あのときを思い出して二ヤニヤしたのだった。来年の卒業式で言おう。ずっとずっと好きでしたって、ここで言おう。そう強く決心した、思い返せば青くて切ない高2の春だった。それからさらに約1年経って、とうとう卒業式を迎えた今日。なんと桜は、まだ咲いてすらいなかった。
そうだった。そもそも私はこの木を、入学式があった4月に見つけたのだった。当然、3月の卒業式に咲くはずもない。満開の桜の下で想いを伝えるなら、今じゃなくて去年のあのときだったのだ。我ながらアホとしか言いようがない。
なんのことはない。これがこの3年間、わたしの妄想の中だけで繰り広げた、独り相撲の結末だった。
焼魚の骨のように黒く細い枝ばかり密生した桜の木の下で、その向こうに広がる青い空を見上げながら、制服のスカートのプリーツを冷たく揺らす春の風に吹かれて、私はひとり、ただ黙って恥じ入ったのだった。ハズい。ハズすぎる。我ながら今思い出しても顔が熱くなる。
「なんか、噂では彼のこと気になっとう子が結構おるらしいとはきいとったけど、あそこまでライバルがおるとか知らんかったし。それだけで戦意喪失。あー無理無理。どだいわたしには無理」
そんなふうに負け惜しみ丸出しで言うわたしに、やまちゃんは
「もー。あたしはずっと、大丈夫、行けって言うとったやろ。毎回毎回髪切るたびにずーっとこの話ばっかりしとったくせに、しょうがない子やねぇ。……でもまぁ、しょうがないか。そりゃミサキちゃんみたいな子にとっては、告白は人生の一大ビッグイベントやもんね」
そう言ってカラカラと笑う。
わたしはそんな彼女をジットリとにらみつけながら、胸の中でまたグチグチとこう呟く。えーい、うるさいな。だって、しょうがなかやん。もう終わってしまったことなんやから。今ぐらいほっといてよね。