「……ほらぁ。またため息ついてから」
いつものように頭の上からやさしい声が降ってきても、今日のわたしは顔を上げることが出来ずにいた。
「せっかくの人生初めてのヘアカラーやろ?いつまでもそげなブスっとした顔しとらんと。ちょっとはうれしそうな顔したらよかとに」
その通りだった。一昨日、とうとう高校の卒業式が終わって、来月にはわたしは大学生になる。子どもの頃から指折り数えて待っていたはずの今日この日、だったはず……なの に。
「まぁた、ため息。なんね。どげんしたとね?さてはまた、いつものあの彼のことやろ?」
言われたわたしは、うつむいたまま目だけを上げる。すると、鏡越しに微笑みかける栗色の瞳とぶつかった。
やまちゃん。わたしの髪を担当してくれてる美容師さん。ゆるくパーマをかけたショートカットの髪を大きなニットのヘアバンドでまとめて、わたしの傍らでほっそりとしたうなじをこちらに捻りながら、鏡越しにわたしの顔をのぞき込んでくる。優しい笑顔。頭のてっぺんからつま先まで、おしゃれ。やまちゃんはいつだってわたしにとって憧れの大人のおねえさんだった。
「だって、だって行ってしまうとよ?東京よ?遠すぎるやん。たぶんもう二度と顔も見れん。そやとに、わたしは……」
グズグズとそこまで言ったら、また目元が熱くなる。いかん。これはいかん。わたしは、ふいっと横を向いて出そうになるものをこらえる。
「あらら。さては結局、彼に言えんまま、卒業式が終わってしまったとやろ。こないだうちに来たときは、絶対告白するって、張り切っとったとにねぇ」
やまちゃんはそう言ってイタズラっぽく笑いながら、ラップに巻かれたあたしの髪の毛の色を仔細にチェックする。
やまちゃんはわたしが中学の頃からずっと担当してくれてて、わたしのことは何でも知ってて、だから、たったこれだけ言っただけでもすぐにわかってくれる。そう、このことは友達にだって言ってない、極秘中の極秘事項。でもずっと前からやまちゃんにだけは、髪を切ってもらうたびに相談してきた。もちろん普段はこんな恥ずかしいことをベラベラとしゃべることが出来るわたしじゃないんだけれど、やまちゃんに髪を切られてると、なんでやろうか、なぜか口が軽くなってしまって、いつの間にか胸の内を引き出されてしまう。
「いや、もちろんわたしもそのつもりやったとよ。でも式が終わってから、彼のところにあそこまで女子がたくさん集まってくるとか思わんやん。ずっと遠くから声をかけるタイミング見計らっとったけど、結局、最後まで無理やった」
半分ホントで、半分ウソだった。
わたしは彼に群がる女子の人だかりを見た途端、その場をそっと逃げ出してしまったのだった。よく覚えてないけれど、小走りに駆けてしまったかもしれない。校舎の裏の、あの場所まで、後ろを振り返ることもなく。
わたしが今日、彼に思いの丈をぶつけるつもりだった、この場所。桜の古木。そのたもと。そこに佇みながら、わたしはあのときのことを思い出していた。